2004年4月のつぶやき

2004年4月30日(金)

=== 信念 ===

 このところ、多摩地区に通っています。

 八王子には私の父のお墓があり、毎月13日にお墓参りにいっているんですが、台湾人で戦後に日本にやって来た父は、何事につけ信念をもってあたれ、ということをいっていました。

 それで、多摩地区でいろいろな方々にお目にかかってお話を聞いていると、どなたにもまさにその「信念」というものを感じます。こういっては失礼かもしれませんが、特に有名な人でも会社を経営している人でもなく、普通の人たちが、「自分はこういう考えをもって生きているんです」という、背骨みたいなものが通っている。

 ふと思ったのは、これまでの私にそうした確固たるものがあったのかどうか。
 もちろん、ぼんやりとはあったんですが、やっぱり「母として起つ。」と決めたときに、初めてそれが固まったような気がします。
 そして、毎日毎日人と会ってお話をし、お話を聞いているうちに、私に決断は間違っていなかったと確信するようになりました。

 日本をよくしたい。
 多摩から帰る電車の中で、改めてその思いを強くしました。

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2004年4月29日(木)

=== タテバンコクノ…… ===

 メーデーにいってきました。
 連合系の中央式典会場となった代々木公園では、3万6000人が参加しました。
 式典の壇上には、笹森清連合会長や民主党の菅直人代表などが勢ぞろいされていて、その末席に私も混ぜてもらったのですが、うわーっていう感慨深いものがありました。

 というのは、10年ほど前のことです。テレビを見ていた父が、
「おい、レン、見てみろ」
 というんです。何かと思って見ると、誰かが群衆を前にして演説しているVTRが流れていました。
「この人が高野さんのお父さんだよ」
 と。私が尊敬し、かわいがってもらっているインサイダー編集長の高野孟さんのお父さん、高野実さんでした。高野実さんは、連合の前身である「総評」を作った人の一人です。
 その高野実さんが、メーデーの壇上で演説をしているVTRを、10年ほど前のメーデーの日にどこかのテレビ局が特集の一部として放送していたのでした。

「高野実さんってのはね、カッコよかったよ」
 と父がいいます。父は貿易会社の経営者だったので、高野さんたちはむしろ闘う相手になりますが、そういった立場を超えて「カッコよかった」と。演説をわざわざ聞きに行ったこともある、と父はいってました。

 昨日はそのひな壇に、私ものぼっているんです。やさして厳しくもあった父を思い出し、その父が「カッコよかった」といっていた高野実さんが大観衆を前にして声を張り上げていたそのひな壇に、私がいる。もーれつに感動しました、うわーっと。
 女性がもっと働けるように、母親が子育ての不安がなく働けるように、子育ての心配がないからもっともっとたくさんの女性がママになれるように、女性だからと区別も差別もされないよう、いくぞーーー!! タテバンコクノジョセイタチ!!
 と、心の中で叫んでいました。

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2004年4月28日(水)

=== 忙中閑あり ===

 小金井市にいって私を応援していただいている方々とお話をしていたら、
「江戸東京たてもの園、って知ってますか?」
 と聞かれました。私はその施設があるっていうのは知ってはいましたけれども、まだいったことはありませんでしたし、今日はそれほどタイトなスケジュールでもないので、みなさんとさっそくいってみることにしました。

 7haの広い土地に、江戸時代後期に建てられた農家や明治時代に建てられた洋館、お屋敷が27棟。2・26事件で暗殺された大蔵大臣高橋是清のお家があったり、「千と千尋の物語」のモデルとなった銭湯「子宝湯」(1929年建設)があったりと、昔の東京を知る建物が移築、復元されています。

 パンフレットによると、
「東京の歴史をふりかえると、江戸の昔から火事・水害・震災・戦災などにより、多くの貴重な歴史的建造物が失われてきました。現在もまた、社会・経済の変化に伴って、こうした文化遺産が失われつつあります」
 と。だから、ここに移築して保存するんですと書いてあります。

 う〜ん、とうなりながら一つひとつを見学するうちに、ぐ〜っとお腹が鳴ってしまい、
「じゃあ、お昼にしましょうか」
 と笑われ、赤面状態の私。
 園の中にある食堂で、武蔵野の伝統の手打ちうどんをいただきました。
 これが、こしがあって美味い! 

 美味い美味いと夢中で食べていると、案内していただいたAさんが、この美味しいうどんの由来を説明してくれました。

 昔の武蔵野はとても貧しく、お米もとれなかったので、わずかにとれる小麦を粉にして、それを練ってうどんをこしらえた。
 だけど、そのうどんもお腹いっぱい食べるだけはできなかったので、最初に畑でとれた野菜を煮て、ある程度それでお腹を満たしてから主食のうどんを食べた、ということです。

 当時の人は、いろいろと工夫しながら食事をしていたんだなあ、と思いました。もちろん、みんなが豊かに暮らせるようになることが一番なのですが、それぞれがそれぞれの状況の中で、知恵を出して暮らしていたんだなと。
 ひるがえってみて、今の豊かな社会に暮らしている私たちは、いったいどこに知恵を使っているのだろう。少なくとも私は、食べものに対してどれだけ工夫をしているだろうかと。忙しいからカレー! とか、朝寝坊したから卵かけご飯! とか。

 もっと子どもたちに工夫と愛情のあるお料理を食べてもらわなくっちゃ、と考えながら、うどんをいただきました。
 で、あんまり美味しかったので、「お持ち帰り」もして家族で食べましょう、と。

 ……結局、明日も手抜き料理か……。

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2004年4月27日(火)

=== 大川豊さん ===

 大川興業の大川豊さんとの対談をさせていただきました。週刊プレイボーイの大川さんのページです。

 なぜ私が「決意」したのか、大川さん流の質問のしかたで聞き出して、それに私が答えて、さらにそれに大川さんが突っ込む、というやりとりは、とても楽しかったです。大川さんはしゃべっても面白いのですが、それ以上に聞き上手(話させ上手)だなと思いました。

 しゃべっても面白い、というのは変ですが、やっぱりきちんとしたスタンスを持っていらっしゃるから、例えば政治の話をしてもわかりやすく、正鵠を射てます。
 もちろん、パフォーマンスもしてくれました。

 対談が終わって写真撮影になったとき、
「そういえば、蓮舫さんは本省人ですか外省人ですか?」
 と聞かれました。
 台湾人の中で、もともと台湾に住んでいた人を「本省人」、中国共産党との内戦によって台湾に渡ってきた人たちを「外省人」といいます。
 私の父は、もともと台湾に住んでいたので「本省人」ですから、私も本省人です。
 そういうと、
「じゃ、ちょっと着替えてくるね」

 しばらくして出てきた大川さんは、先月の台湾総統選挙での陳水扁総統サイドの選挙キャンペーンTシャツと帽子をかぶってました。大笑いです。
 ですが、これは茶化しているわけではありません。
「台湾での選挙みたいに、若い人たちが盛り上がらないといけないよな」
 と大川さんは真顔でおっしゃいました。そうしたメッセージを込めたパフォーマンスだったのです。

 そして、知らないうちに私のバッグには陳総統を応援する小旗が……。大川さんのイタズラでした。

 対談は、GW明け発売の週刊プレイボーイに掲載される予定です。

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2004年4月26日(月)

=== 気晴らしはお買い物 ===

 先日は、時間があいたので家に帰ってお料理。今日は、時間があいたのでお買い物。
 吉祥寺の丸井で、白いジャケットを3着買いました。
 やっぱり、お洋服をあれこれ選んでお買い物をするって、気持ちがいいです。スカーっとしました。

 なぜ白いお洋服ばかりかというと、このHPのトップページの写真もそうですが、私のイメージカラーのひとつが「白」なんです。
 じゃあなぜ「白」なのかというと、田原総一朗さんに「白が似合うね」といわれたから。

 3月の台湾の総統選挙のレポートで、田原さんの「サンデープロジェクト」(テレビ朝日、日曜日朝10時から)に出させていただきました。そのとき、白いジャケットを着ていて、オンエアされてる画面を見て、田原さんが「蓮舫は白の服が似合うね」と声をかけてくれたのです。
 
 田原総一朗さんは、私がタレントから報道の世界に入るときにアドバイスをしていただいて以来、ずっと私のことを見守っていてくださっていますし、夫も田原さんのスタッフをもう10年もさせていただいています。

 ですから、っていうと単純ですが、「いいよ」といわれたことは何でもやりたい、というのが今の私の単純な心理でもあります。

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2004年4月25日(日)

=== 祝! 当選 ===

 目黒区長選挙で、民主党推薦の青木英二さんが当選なさいました。
 青木さん、おめでとうございます。
 私は青木さんの応援で一緒に商店街を歩いたり、駅前で演説したり、集会で演説したりしていましたが、こんなに嬉しいことはないです。

 その一方で、集会会場の控室での青木さんがとても印象に残りました。
 というのは、後援会の幹部の方たちや国会議員、都議会議員、支援者のみなさんたちと一緒に控室にいて、青木さん一人、落ち着かないでうろうろしていらっしゃいました。ほかのみなさんが談笑している中、青木さんは動物園のクマのようにあっちいったり、こっちいったり。
 不安で不安でたまらないんだろうな、と。
 選挙の候補者って、ものすごいプレッシャーがかかるもんなんだな、と。

 その重圧をはね飛ばして区長の座を得たときの青木さんは、とてもすてきな笑顔をしていらっしゃいました。
 その青木さんを支えてこられた奥様、おめでとうございました。

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2004年4月24日(土)

=== 久々の手料理 ===

 この日は12時から新宿アルタ前で街頭演説、すぐに有楽町に移動してマリオン前でも演説をしてきました。
 お天気のいい土曜日でしたが、風が冷たく肌寒く感じられましたが、アルタ前でもマリオン前でも、待ち合わせの方々でいっぱい。それに我田引水かもしれませんが、歩いている人たちが歩みを止めて私の演説を聞いていただける割合が高くなったような気がします。

 それが終わって、打ち合わせや会合に顔を出して、夜の集会まで3時間ほど時間があいたので、急いで家へ帰って料理を作りました。
 最近は、子どもたちの夕食を母に頼みっぱなしにしていたので申し訳ないとずっと思っていまして、それで「今日ぐらいは作んなきゃ」と思ったわけです。
 だけど時間もそんなにないので、ちゃっちゃと出来るカレーとマカロニサラダ。
 タマネギを切ってジャーっと炒めて、その間にお肉を切って(久々のチキンカレー!)これもまた炒めて、お鍋に移して煮込んでいる間にニンジン、キノコ、じゃがいもを用意。
 子どもたち用と大人用は辛さが違いますから、途中で鍋をふたつに分けて、と。そこでまた煮込んでいるうちに、マカロニサラダをちゃっちゃと。

 残念ながら、夕方にまた出かけていったので、食べる様子は見れませんでしたが、母の話によると、とっても喜んでくれたとか。
 ……ナミダがでますね。
 さらに、夫はマカロニサラダをボール一杯食べたところで満腹になり、カレーまで到着できずリタイア。
 ……ナミダがでますね、別の意味で。
 マカロニサラダが好きなのはわかるんですが、毎回毎回カレーとマカロニサラダをセットでだすたびにこれ。夫は「選択と集中だ!」と、聞いたことあることをいってごまかしています。

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2004年4月23日(金)

=== 熱気 ===

 目黒区長選挙の応援にいってきました。
 民主党からは青木英二さんが立候補されています。その青木さんの演説ということで、会場となった目黒区の小学校にはたくさんの支援者の方々が集まっていらっしゃいました。

 25日に投票なので、この日はもう終盤も終盤。それだけに青木さんの演説には力が入り、それを聞いている支援者の方々もいちいち首肯きながら、こちらもまた力一杯聞いてるぞ、という感じでした。
 ですから、そんな雰囲気で私も応援演説をさせていただいたのですが、これは街頭での演説とはまた一味違ったものです。

 選挙終盤の熱気、すごいです。

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2004年4月22日(木)

=== イヌ1匹、ネコ6匹 ===

 夜遅くに家に帰り着くことが多くなってきました。
 玄関のドアを開けて、「はぁ〜っ」とため息をついて、靴を脱いで、とやっていたら、飼っているネコが寄ってきて足にスリスリします。
 お腹空いたよお腹空いたよ、というアピールです。

 そこで、ネコにエサをあげていると、ドスンという音がする、ミャーと声がする、むくっと起き上がってこっちを見る、カツカツカツカーツと床に爪を立てて走ってくる音がする……。全員集合状態になります。

 うちは、イヌを1匹、ネコを6匹飼っています。
 イヌはクララという名前で、スピッツです。散歩させていると、イヌ好きの人から「おっ、珍しいね」とよくいわれます。クララは一緒に住んでいる母が飼っている子で、母は子どもの時からずっとスピッツばっかり飼っていて、60ン歳になってもスピッツ一筋。
 ネコもだいたい、母が近所から拾ってきたネコ、そのネコが産んだ子どもたちです。歳の順に、チャ、マル、タマ、バナナ、サピオ、クーという名前です。

 なぜ拾ってくるのかというと、小猫で捨てられている状態で、弱っていてかわいそうだから、ということです。
 弱っているから、まずは病院に連れていって手当てをして、家につれて帰って手当てをして、ということになりますから、そのときは母と私と夫と、今は子どもたちも一緒になって面倒を見ます。

 で、疲れて帰ってきたときは、ネコのスリスリでエサをあげ、みんなが寄ってきてエサをあげ、食べ終わってあくびしているネコや、さっさと別の場所に引き上げるネコ、またスリスリ寄ってくるネコの頭をなでてやって、と、彼ら彼女らにけっこう癒されています。

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2004年4月21日(水)

=== くつボロボロ ===

 所沢での街頭演説の合間のこと。
 一緒にクルマに乗っていた岡田克也民主党幹事長が、
「見て見て!」
 って感じでニッコリ笑って、ご自分の足もとを指さしました。

 岡田さんが履いているのは、黒の新しいスニーカー。
 ナイキっぽかったから
「すごいですねー」
 といったら、
「昨日買ったんだ!」
 って感じでまたニッコリ。

 選挙になると、スーツにスニーカーは当たり前のよう。
 とにかく歩きますし、時には走りますから、私もすでに2足を履きつぶしました。

 どなたか、丈夫で長持ちでおしゃれなスニーカー、知っていらしたら教えてください。

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2004年4月20日(火)

=== ヘコみました ===

 都立大学駅前での街頭演説が終わったときのことです。
 とても綺麗な20代女性が自転車を押してやってきて、一言。
「邪魔なんだよ」

 かなりヘコみました。

 ただでさえタレントとして、生活者と見られてない私。
 子どもたちが生まれて2年ぐらいは。仕事もほとんどせずに子どもたちを育ててきたし、それ以後も東京以外の町での仕事でも、日帰りできるのなら必ず日帰りして、子どもたちと一緒のお布団で眠るようにしてきたし……。
 仕事以外は、みんなのママと変わらないんだけど……。

「偉そうにしてる」と、「タレントさんでしょ、子育てしてないんでしょ」と、「家のことはやってないんでしょ」と、間違って伝わらないように頑張ります。

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2004年4月19日(月)

=== 爆睡 ===

 子どもたちの小学校の父母会に行ってきました。
 といっても、どうしてもはずせない用事があったので、最初は夫に行ってもらって、途中から交代して参加することに。

 ところが、夫は前2日間、あまり寝ないで大量の仕事をしたせいか、2時間ずっと爆睡していたらしい……。出席していたママたちからの、
「ずっと寝てらしたよ」
 というご報告でそれが判明。

 夫はゴミ出しやお風呂掃除は文句もいわずにちゃんとやってくれるのに、幼稚園や学校の用事はどうしても手を抜くんです。運動会は張り切りますけど。
「よそのパパたちに負けてたまるか!」
 って、お父さんリレーで必死になって狭い幼稚園の園庭を走って、カーブのところで転んだり。

 お父さんって、どこもそんなもんなのかな。

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2004年4月18日(日)

=== 一度やったら…… ===

 今日もまた呉です。
 朝7時30分から国道沿いに立って、呉に入ってくるクルマ、呉から出ていくクルマに向かって、
「おはようございまーす、よろしくおねがいしまーす」
 と頭を下げつつ連呼。

 私も以前は、こんなことやって何になるんだろう、と思っていました。
 しかし実際にやってみると、これがじつに面白いんです。
 
 というのは、もちろんなんの反応も示してくれないクルマが大半ですが、中には、プップーとクラクションを鳴らして応対してくれる方、わざわざ停車して窓を開けて
「頑張ってくださいね」
 と声を返してくれる方。
 これが選挙の手ごたえなんだなぁ、と思っていると、候補者のボランティアスタッフが、
「これ、選挙終わったらもうやらないんだよな。なんか寂しいなー」
 と。張り合いがなくなるともいっていました。

 うんうん、と頷くほかのスタッフがいて、何だかほんわかとしつつも、しっかりと意識は共有していた。

 この一体感なんだな、選挙の魅力って。

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2004年4月17日(土)

=== 商店街 ===

 今日は、広島の呉市に来てます。衆議院補欠選挙の応援で、菅直人民主党代表とやってきました。

 私は、呉には毎年のように来ています。のように、というか、商工会議所などの主催でシンポジウムがあったり講演会があったりで、子供たちを産んでしばらく休んだあと、98年ごろから毎年毎年、呉に来ていました。

 去年はPTAのお招きで講演しました。子供たちの教育のお話をたっぷり90分、その後は懇親会や、青年会議所の人たちとの楽しい大宴会(これも毎年の恒例行事……)。
 いってみれば、ここでいろんなお話をし、いろんな方々と知り合って考え、勉強したことが、「母として起つ」というきっかけのひとつにもなったんです。

 さて、選挙の応援といえば街頭演説ですが、自民党の小泉首相は、大きな演説カーの上に乗っていつものように声を張り上げていらっしゃいました。
 一方、菅代表と私は、栄町商店街というところを自転車と歩きで回っています。

 この栄町商店街は、わりと大きな商店街でとても活気のある商店街です。メインストリートは洋装店やメガネ屋さん、文房具屋さんなどで、わき道にはいると八百屋や魚屋さん、お豆腐屋さんがちゃんとありました。
 呉は港町だから、いくつもある魚屋さんの店先には、活きのいい魚が並んでいました(暑い日だったので、ちょっとぐったりしてたかもしれない)。
 ここに子供たちを連れてこれればよかったなーと思いました。というのは、切り身ではなくまるままの魚を子供たちに見せて、これが鯛だの鰯だのというのを教えてあげたい。もちろん、私もそんなに知っているわけじゃありませんが、それは魚屋のオヤジさんに聞けばいいことで、そういう言葉のやり取りから、人と人、大人と子供との会話が始まるんだと思います。

 で、菅さんが来ることはあらかじめ宣伝してあって、菅代表を見たい、話を聞きたいという人たちがたくさん商店街に集まってくれました。
 そこへ、私です。
「えっ、なんで蓮舫が来てるの?」
「蓮舫さん、偶然講演で一緒だったんですか?」
 と、どなたもむしろビックリさなってました。
「民主党を応援しているんですか?」
 とも。

 いや〜なかなかね、選挙法で禁止されてて、今の時期から、私はいついつの選挙にナニします、ということはいえないもんで、ここはムズカシイところではあります。

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2004年4月16日(金)

=== 学校に行かない子 ===

 文部科学省の調査によると、公立の小中学校を30日以上連続して休んでいる子供は、4万3591人もいるそうです。これは、およそ1校に3人いることになります(朝日新聞4月16日付)。
 学校に行かない理由、事情はいろいろあるんでしょう。
 だけど、生まれついての登校拒否児童というのはいないわけですから、これは親と子供、どういうふうに一緒に生きてきたかに原因があるんだと私は思います。

 親と子、一緒に生きてきたら……、と。

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2004年4月15日(木)

=== キビシ〜 ===

 今日は、文京区と台東区と中央区の区議会民主党議員のみなさんとの懇親会がありました。

 何しろ私にとっては、あらゆることが初めてなので、毎日右往左往、不安のかたまりでして、議員さんたちは私のこうした心情をちゃんと見抜いていらして、ずいぶん励ましていただきました。
「僕ら経験者だって票がどのくらい入るか見えないんです。ましてや蓮舫さんは初めてなんだから、不安になるのは当たり前なんです。ですから、応援してくれている人たちを信じて頑張っていれば、きっといい結果になりますよ」
 と。

 ありがたいです(涙)。

 でも、
「有権者のみなさんたちは、街頭演説には慣れてきましたからね。手を振ってくれたからといって、必ずしも投票してくれるとは限りませんよ」
 とも。

「見えないものに向かって、頑張ってください!」
 
 ありがたいです(再び涙)。

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2004年4月14日(水)

=== 田原敦子さん ===

 田原総一朗さんのご長女の敦子さんに、偶然お目にかかりました。敦子さんは今、双子のお子さんをお腹の中に宿されています。もうそろそろ生まれてくる時期で、私の時もそうでしたが、ウエストが途方もなく大きくなって(私の場合は95cmになりました)、立っているのも辛いけど、横になっても圧迫感があって辛いんです。
 でも、私も母親になっていろんなことがわかるようになりました。子供たちが与えてくれる喜びもあるし、不安もあります。だから今回、私はキャスターから一歩踏み込もうとしているわけで、子供たちの安全と安心をちゃんと守ってあげないといけないと改めて思いました。
 敦子さん、健康にお気を付けて、元気な赤ちゃんたちを産んでください。

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2004年4月14日(水)

=== 街頭演説 1 ===

 街頭演説をしてきました。午後12時に有楽町のマリオンの前、午後5時30分には西武新宿駅前です。これまで何回か街頭演説を体験しましたが、雨が降ったのは今日の西武新宿駅前が初めて。しかもどしゃ降りの雨で肌寒く、私も海江田万里さんもクルマの上で震えながら演説をしました。
 でも、私たちはまだお腹から力を入れてしゃべっているので次第に寒さも感じなくなりますが、立ち止まって私たちの話を聞いてくださった方々は本当にお寒い思いをなさったと思います。それでもたくさんの人たちが足を止め話を聞いてくだいました。ありがとうございました。

 イラク問題、年金問題を中心にお話しましたが、おばあちゃんやサラリーマンの方々が熱心に耳を傾けていらっしゃいました。特にイラクの「人質」問題については、確かな情報がないために、国会でどんなことが話し合われているのか、政府はどんな対応をしているのか、海江田さんのご報告にどなたも真剣に聞いていらっしゃり、この問題の関心の高さが伺われました。3人の一刻も早い解放を願わずにはいられませんが、ご家族の健康状態も心配です。

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2004年4月13日(火)

=== 父のこと ===

 この日の日経新聞の「交遊抄」(最終面)は、スーパー「ライフ」のライフコーポレーション会長の清水信次さんが書いていらっしゃいました。そこには、「戦後の闇市から身を起こし、パイナップルとバナナの輸入業に手を染めて知人から『パインちゃん』とも呼ばれていた私は……」とありました。私の父、謝哲信は台湾バナナの貿易商で清水さんとは大の仲良し。小さい頃、私はよく清水さんや父から「昔はバナナってのはね」と、いろんな話を聞いていました。大好きだった父が亡くなって、ちょうど今日で10年。父の命日に清水さんの文章を読めるなんて、と思いました。

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2004年4月13日(火)

=== 鳥インフルエンザ ===

 やっと京都でも「終息宣言」でました。これでようやく鶏のお肉と卵が安全になり、わが家ではさっそく目玉焼きを食べました。子供たちも主人も、私が作る両面焼きで卵黄半熟、という目玉焼きが大好物で、朝食には必ずそれがテーブルに出ていました。が、インフルエンザ期は卵は完全に火を通した方がいい、ということだったので、私の目玉焼きは「自粛」。でも不思議なのは、「専門家らは、家畜の中でも牛や豚に比べて、鶏の疫病対策はこれまで後手に回ってきたと口をそろえる」(日本経済新聞4月13日付)ということ。卵は戦後ずっと価格が安定していて(つまり、値段が上がってないってことです)、毎日の料理にはかかせないすばらしい食材なのにね。

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2004年4月12日(月)

=== BSE ===

 アメリカのチェイニー副大統領が来日して、小泉首相と会談をしました。が、BSE(牛海綿状脳症)の話にはならなかったようです。今、日本はアメリカから牛肉を輸入するのをやめています。昨年末にアメリカの牛からBSEが見つかって、日本政府はアメリカから牛肉を輸入することをストップしました。すべての牛を検査する(全頭検査)よう日本は求めていますが、アメリカはそれに応じないために、輸入禁止が解かれないのです。このため、牛丼が街から消えてしまいました……。牛丼……、学生時代にはよく食べてました。大人になってからもよく食べてました……、ある大手スーパーは販売する牛肉の40%をアメリカ産に依存していたそうです。またある焼き肉チェーンは90%とか。やっぱり美味しくて安心して食べられるお肉を食べたい……。

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2004年4月12日(月)

=== HP ===

昨日からスタートしました。まだ仮住まい、というところですが、急いで充実した内容にしていきます。毎日見てくださいね。