自衛隊法第52条:「服務の本旨」では、隊員は我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、強い責任感をもって専心その職務の遂行にあたり、(中略)、国民の付託にこたえることを期すものとする、と規定されています。
海上自衛隊の「あたご」はこの52条を厳正に守っていたのでしょうか。
2分前が12分前に。なぜ「あたご」は漁船の灯火を確認した時間を訂正したのでしょうか。赤か青か。清徳丸が点していた灯火は何色だったのでしょうか。事故から日が経つにつれ、自衛隊側の主張と漁船団側の主張に大きな開きがあることがわかってきました。事故の同時刻、同じ海上で「あたご」との衝突を回避した他の漁船には「あたご」が直線して進むなか、自らの漁船が回避行動をとった記録が詳細にレーダーに残っていました。ところが、「あたご」のレーダーには清徳丸を含む複数の漁船の航跡記録が残っていないと報じられています。一般的には、水上レーダーが漁船の船影を捉えたのち、継続して動きを追っていればコンピューターが自動的に影を追跡、漁船が接近した場合には警告を発し、危険を回避することになりますが、「あたご」に記録がないということは、そうした危険回避行動をとっていなかったことになるのではないでしょうか。さらに驚いたのは、イージス艦は演習時にはレーダー記録を残すが、通常の航行では常時記録はしない、との報道です。重んじるべきは演習よりも通常の航行における事件、事故回避ではないでしょうか。
与野党を問わず、防衛大臣の責任論が問われ始めています。国民の命を守るべき自衛隊が起こした事故であるだけに、自衛隊の長である防衛大臣の責任の重さは問われるべきものがあると思いますが、今、責任論を取り上げることが果たして適正かどうかは少々疑問が残ります。
今なお、清徳丸に乗っていた吉清治夫さん、哲大さんの消息は絶たれたままです。まずは、この親子2人の捜索に全力をあげること。そして、一体事故は何故おきたのか。どこに問題があり、どこが責任を負っているのかを判明させ、二度と起こさせない再発防止策を講じるべきだと考えます。