蓮舫代表は5日、前日に引き続き党東日本大震災復旧・復興推進本部(岡田克也本部長)、「次の内閣」復興部門(金子恵美ネクスト復興大臣)とともに東日本大震災から6年を迎える宮城県の被災地を視察。塩釜市と七ヶ浜町を訪れ、新たな課題に向き合う地元自治体や住民らの声に耳を傾け支援を誓った。日程には、郡和子同本部長代理、田名部匡代同副本部長、小熊慎司同本部副事務局長、坂東毅彦宮城県第4区総支部長が参加した(写真上は、野々島で地元民と語らう蓮舫代表)。
佐藤昭塩釜市長の案内のもと塩釜マリンゲートを出発した一行は、観光船で日本三景・松島の一部を構成する島嶼群・浦戸諸島の桂島、野々島を訪問。旧浦戸第2小学校の施設を活用し、大規模改修を行い2015年12月に新たな施設としてオープンした桂島ステイ・ステーションでの島民定期総会に出席し、あいさつした。旧浦戸第2小学校は東日本大震災時には避難所となっており、岡田本部長は当時与党幹事長として訪問し、激励。島民らからは「岡田さんのおかげ」「また来てくれてうれしい」「こんな立派なものができた。ぜひ見てほしい」など感謝の言葉が寄せられた。
野々島では住民らから、被災後に災害復旧工事で整備した岸壁や物揚場について、震災後の地盤隆起で施設の高さが想定より高くなってしまい、水揚げ作業に支障が出ていることや、島での道路工事が船での資材運搬になることからコスト高で入札不調が続いているといった話を聞いた。
七ヶ浜町では、花渕浜地区災害公営復興住宅、菖蒲田浜地区災害公営復興住宅をそれぞれ訪問。両公営復興住宅は鉄筋コンクリート造(菖蒲田浜地区は一部鉄骨造)で2015年に完成、入居者の交流の機会が生まれやすい環境となるよう、中庭広場を中心に4つの住棟を整備、行き来のしやすさとバリアフリーに配慮したつくりになっている。
寺澤薫町長ら役場から復興状況や新たな課題等について説明を受けた後、菖蒲田浜地区の集会所で住民らと意見交換。蓮舫代表は冒頭、「東日本大震災から6年、どうしても政治は区切りをつけたくなるが、皆さんにとってはこの6年もこれから先も一歩一歩本当に大切で長い人生がある。野党ではあるができることを全力で仕事をしていきたいと強く思っている。今日は忌憚(きたん)のないご意見を聞かせていただきたい」とあいさつ。岡田本部長は「大震災のとき与党の幹事長で、週末はずっと被災地を歩かせていただき、さまざまなご意見をいただいた。あれから6年が経ち、済んだこともあるが、まだまだこれからのことも多い。本部長としてあらためて被災地を回っているが、政治ができること、行政ができることはまだまだあると思う。今日もご意見をいただきしっかりやっていきたい」と決意を述べた。寺澤町長は「どうしてもマスコミが取り上げるのは南三陸や石巻が多い。われわれも被災地で1014世帯が被災し、復興のトップランナーとして取り組み、やっと災害公営住宅ができたなかで名前が薄れていくのが寂しく感じる。こうして立ち寄っていただけるのは本当にありがたく思う。住むところは安定したが、これからまた生活するなかでいろいろな課題があり、それを聞いてもらえるのはありがたい」と語った。
住民らは、仮設住宅から復興住宅へと移ったことで、「家の中にこもってしまう人が出てきて、近隣とのつながりが薄れている」「立派な集会室ができてイベントを企画しても参加する人は限られている」「仮設住宅を循環していたバスがなくなり買い物が不便になった」など新たな課題を指摘。こうした声を受けて最後に地元の坂東総支部長は、仙台市宮城野区役所で災害対策や復興支援の仕事に携わっていた経験にも触れ、「同じようなことをずっと感じてきた。どうやってコミュニティをつくっていくかは、被災地だけでなく日本全国で少子高齢化のなかでとても大事なことだと思う。復興を通して新たなコミュニティをつくれれば全国にとって大事な資産になる。一つひとつやっていきたい」とあいさつ。「以前は近所の商店で会話をしながら買い物をしていたが、今は便利な世の中になり無言で物を買える。仮設住宅でコミュニティがあったのは不便だったから。(仮設住宅から)復興支援住宅になり鉄の扉を閉めた途端に孤立してしまうというのは今全ての被災地で起きていること。どうやったら人と人とが関われるか、政治の力を持って取り組んでいきたい。皆さんの声を聞きながら日本をすばらしい国にしていきたい」と力を込めた。
本文、画像とも民進党HPより転載