2004年8月のつぶやき

2004年8月31日(火)

発見!欲しかった”あの店”

 猛暑が続き、ようやく秋風らしきものが吹き始めたかと思えば、厳しい残暑。そんな中、欲しかった「店」を見つけました!
 
 基本的に暑さとベタベタな湿度に強い私でも、選挙を経験したこの夏はつらかった。洋服がもたない。選挙後半はさすがにポロシャツで過ごしましたが、それまでは白いスーツを着続けていました。それまでの私は、時間があればスーツでも何でも家で洗って、アイロンをかけていましたが、なにせ手持ちの白いスーツに限りもあるうえ、洗濯している時間がないのが選挙です。加えて猛暑。1日、3回くらい着替えることもあったなか、ここはクリーニング頼み。。。

 といっても、そうなんです。
 クリーニングは時間がかかるうえに、朝早く、夜遅くは開店していないのです。いつ預けて、いつ取りにいくんだ!夜中にさみしくスーツをまとめて洗ったこともしばしば。

 で、見つけた「店」は、なんと24時間営業のクリーニング屋さん。
 この店はすべてオートメーション化、いつでも預けられ、いつでも受け取れる!が売り。昼間は人が対応しますが、朝、夜、夜中は閉められたシャッター脇の機械が対応。入り口に設置されたボックスに向かって、会員番号を入力すれば預けた洋服が機械で運ばれ、ボックスに届く、のです。洋服を預けるときも、ボックスに洋服を入れ、会員番号を入力し、前もって購入したプリペードカードで支払えばいいのです。

 どんな時でもワイシャツを自分で洗う、をモットーにしている夫はともかく、ワイシャツを14枚持っていて、週末に7枚をクリーニングに出し、残る7枚で来週を過ごし、その週末に7枚をクリーニングに預け、洗い上がった7枚を受け取り、次週に備えている我が弟にさっそく知らせたところ、真剣に羨ましがられました。(兄弟の会話としてはさみしいんですが)

 さて、おとといのこと。その店に預けた洋服を取りに行きました。昼間に時間があったもので、人に対応をしてもらったので、残念ながらボックスを利用できなかったのですが、ボックス脇のカウンターまで、吊り下げられた洋服が回る寿司のように運ばれてきた様子を、「研修」と胸に書かれた新人らしい定員と2人で息をのんで見守り、無事、洋服がカウンターまで届けられた時には、私も店員もつい「おー」と言っていました。

 次回は、夜に挑戦だ。

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2004年8月26日(木)

徳島に行ってきました

 台湾から帰国をした2日後に、徳島県に行きました。

 この8月から、仙谷由人政調会長が塾長になって「徳島・民主党政治塾」を開講し、その記念講演で話しをさせていただくためです。本来、私なんかが話せる内容などは記念などと冠がつくものではないんですが、仙谷塾長が「大丈夫です」と誘ってくださったので、図々しく徳島に
行きました。

 当日は100人ほどの聴衆が集まり、仙谷代議士の予算に関するお話しに真剣に、熱心に耳を傾けていました。
 地元の秘書の方が言うには、徳島や四国で民主党が知られるようになったのは、本当にこの数年だそうです。元々、自民党が強く保守の地、と言われていた場所から、若い候補者が出てきたり支持者が増えてきたことは大きな地殻変動、とのことでした。
 なんとか、この動きを本物にしたい、と強く思った日でありました。

 そんな思いを新たにした翌日からは、私の母と子どもたちを呼び、3日間も鳴門で遊んできました。
 渦潮を見て歓喜し、お遍路さんの寺を見て学び、日本三大橋のひとつと言われるかずら橋を怖々と渡ったり、海の幸、川の幸を十二分に堪能してきました。

 私が大学生の時は「旅」と言えば海外に遊びに行くことで、安いチケットを探しては、リュックを背負ってアメリカや、アジアの国々に出かけていましたが、この6年ほどは日本国内にはまっています。山、川、海、その土地の自然を感じて、文化に触れ、人々と話し、土地のものを食べる。知らないことを発見し、体感する。
 日本の持つ自然という財産。その土地で暮らす人達の知恵を見ることで改めて日本の魅力を再考しています。

 正直、国内旅行は海外旅行と比べて激安ツアーが少なく、経済的に厳しい時もありますが、日本を回る旅、おすすめです。

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2004年8月23日(月)

ご冥福をお祈りいたします

 ジャーナリストの田原総一朗さんの奥様が先週、亡くなられました。

 昨年、共著「私たちの愛」を出版され、その後闘病生活を続けられていました。田原さんが、朝ご飯を作られたり、奥様をお風呂に入れてあげている、と聞いたことがありました。自分が身体を壊してはいけないと、エレベーターを使わずに階段を利用しているとも聞きました。
 テレビで見る切り口鋭い姿とは180度違う、優しい素顔です。

 北朝鮮に取材に出かけていて、奥様の最期を看取れなかった田原さんは、どのような想いだったのでしょうか。

 昨日の夕方、築地の本願寺でお通夜が営まれました。
 小泉総理をはじめ閣僚の方々、民主党の岡田代表、菅前代表や、経済界を代表する方々に見守られるなか、胡蝶蘭と百合の花に囲まれた遺影の中の奥様は本当に幸せそうに笑っていました。

 夫婦の形、を考えた日でした。

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2004年8月20日(金)

台湾に行ってきました

 小学生の頃から、家族そろっての夏休みは台湾の高雄市でした。
 台湾バナナの輸入を手がけている父は、いつも本当に忙しく日本と台湾を行き来していたので、日本で家族で出かけた記憶はないけれど、夏休みはずっと父と過ごせることが、子ども心にとても楽しみだったことを思い出します。

 私の双子が3才になった頃からも、私が子どもだった時と同じように、夏は高雄で過ごすことが常となっていて、今回も子ども達は、自分たちのリュックに水着やらオモチャを詰めては「ママ、牛肉麺(台湾で有名なおそば)食べられるよね」と、大喜び。
 ただ、今回は私が参議院議員に当選したこともあり、台北市で副総統の主催する国際フォーラムに参加したり、陳水扁総統にお会いできる機会をいただいたので、子ども達に2日遅れて高雄市に向かいました。

 私が子どもの時と同じように、プールで遊んで、台湾の美味しいご飯を食べて、夜市(食べ物や洋服や雑貨を売っている屋台が並んでいる市場)で、日本にない雑貨を見つけては大騒ぎして、親子ですっかり台湾を満喫して帰国してきました。

 帰りの飛行機の中のこと。
 「ママ、ママが話しているのは中国語でしょ。台湾は中国なの?」
 何にでも興味を持つ2人らしい質問をぶつけられました。

 子どもの頃から日本語で育てられ、中国で言葉を学んだ私は台湾語を話せないことは簡単に説明できました。でも、日本は台湾を中国の一部と見ていること。中国も台湾を自国の領土としていること。でも、台湾人は台湾と中国は違う国と主張していることは上手く伝えられませんでした。
 たしか、中学生の頃、私も同じ質問を父にしたことがあります。父は困ったような顔をしながら「難しい問題だよ」と言いました。子どもながらにも、「聞いてはいけないことだったな」と思ったことも、ふと思い出しました。

 台湾と中国の問題は、台中間で決めることだと思います。
 その時、日本は外交姿勢としてどのように対応していくのか。日本にとっての国益を考えたいくつもの「IF」を想定しなければいけない問題だと思っています。

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2004年8月14日(土)

美浜原発事故について思う

 美浜原子力発電所の事故で亡くなられたご遺族の嘆きが、この2、3日、メディアで報道されている。

 「二度と同じことを起こさないでくれ」
 
 絞り出すような声の沈痛さ。ご遺体に抱きつきながら泣き崩れるご遺族の姿。その痛ましさに涙が止まらなかった。
 通商産業省が出しているエネルギー白書2003年度版を見ると、原子力発電所の安全確保に対する基本的考え方として、「国の安全規制においては、原子力施設が安全への要求を満たすものであることを確認しています」と、厳重な品質管理、入念な点検、検査をうたっている。
 ところが、死者4人を出した今回の事件。破損した配管が点検対象から漏れていたため、運転開始からなんと28年間一度も点検されていなかったことが報道されている。

 ご遺族は、その無念な思いをどこにぶつければいいのだろうか。

 一方で、関西電力は稼働中の全原発を順次、運転停止にするという。東京都心では昨日、真夏日が連続38日と最長記録を更新する暑さが続き、美浜原発のある福井県美浜町でも、今日までで連続22日の真夏日が続いている。猛暑が電力のさらなる需要につながるとして、東京電力と関西電力は火力発電所の稼働を大幅に引き上げることを決定したが、人工的な涼しさ、快適な生活を当たり前とすることが、どれだけのリスクの上に成り立っているのか、を改めて考えさせられた。

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2004年8月11日(水)

温泉報道を見て思うこと

 群馬県の水上温泉でも、井戸水や水道水を加熱して温泉と称していたとして「偽装」として報道された。
 白骨温泉、伊香保温泉に続いて3例目。
 偽装に関して「けしからん」と声を荒げる人も出ているし、信用できないから温泉には「もう行かない」という友人もいる。

 実は私は大の温泉好きで、母と一緒に、また子ども達を連れて温泉めぐりをすることが多かった。
 白骨温泉では、乳白色のお湯に子ども達が嬉しがったし、伊香保ではのんびりと過ごした。昨年の冬には子どもたちとスキーに行って、疲れを水上温泉で癒したことがある。

 偽装報道があってから思うことは、騙されたかもしれない、ではなくて、人間は本当に「気は心」なんだな、って。

 温泉だと思ってつかれば、なんとなく元気になるし、痛かった腰もなんとなく良くなった気がするものである。だから、忙しくて温泉に行く時間がない時は、家のお風呂に草津の湯や、湯布院の湯の入浴剤を入れては、何となく身体の疲れがとれた気分を味わってきた。
 これからも、私は温泉につかりに行くと思うが、お湯が正真正銘の温泉であるかどうかよりも、その場の、非日常の空間につかるだけでなんとなく癒される効果を楽しみたいと思った。

 ただ、ひとつ。
 今や、日本の温泉は台湾や中国、韓国の旅行客に大人気の観光スポットになっている。自国にない温泉文化を満喫するために、わざわざ飛行機で遊びにきたアジアの人々が、自分が入りに来た温泉が「偽物」と知った時の落胆は相当なものだろうな、と。
 
 彼や彼女たちが、偽物の温泉に入らされた、と自国に帰って話したらどうなるんだろうか。「だまされた」なんて言われたらどうなるんだろうか。
 一連の温泉「偽装」事件は、気は心なんて能天気に言っている場合ではないのかもしれない。

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2004年8月10日(火)

サッカー・アジアカップで感じたこと

 あの年の夏も暑かった。
 96年、8月。当時北京に留学していた私は大学の夏休みを利用して、中国国内を列車を使って旅行していた。
 四川省は日本と同じ人口、1億人だったと記憶している。
 どこに行っても人で溢れている省都の重慶。この街は日本の長崎のように、至る所が坂で、自転車に乗る人が少ない。自転車に乗れない中国人は重慶出身だよ、と中国に友人に聞いた話しに思わずうなずくほど、坂や階段だらけの街だった。
 
 この街で、いつものように安いホテルを探して歩いていた。
 中国人専用の宿に泊まりたい、そんな外国人はめずらしい。
1軒、2軒と断られるのは慣れていたが、この日は4軒、5軒と立て続けに断られた。

 途中で気付いた。
 その日は8月15日。日本にとっては終戦記念日だが、中国にとっては抗日戦争の勝利記念日。激しい戦闘が繰り広げられた重慶で、日本人が泊まれるなんて甘い考えだった。
 結局、1000円以内で泊まれる予定の安宿をあきらめ、不当な宿泊拒否のない3ツ星ホテルに泊まり、散財をしたことを覚えている。

 8月15日は、重慶のみならず、北京でも日本人にとっては緊張を覚える1日となる。テレビでは抗日戦争時代のドラマが流され、新聞には抗日、反日の文字が踊る。留学していた北京大学では、帰省しなかった中国人学生たちが校内で集会を開き、歴史を振り返る。
 「今日は大学の校舎に近づかないほうがいいよ」。親切な知人に耳打ちされたことも一度ではない。
 中国では、共産党への求心力を高めるために、不満のはけ口を日本に向けることはよくあるが、特に8月15日は抗日一色の日になることは中国で生活したことがある人なら誰でも知っていると思う。
 
 そんな夏。重慶で、北京でサッカーアジアカップの試合が開かれた。
 ある程度の騒乱は予想をしていた。
 それでも、日本のサポーターが「日本中国友好」の横断幕を掲げた姿にゴミを投げつけた中国人サポーターの姿にはため息をつくしかなかった。
 「スポーツを友好的な雰囲気で楽しむことを働き掛けたほうがいい」との小泉首相のピントがずれたコメントにもため息が出たが、政治もスポーツも国家の名をかけた戦いであると教えられた中国人に対し、それは違う、と言ったところで聞く耳を持たない。
 社会主義市場経済で、沿岸部の人々が開かれた経済を学ぶのには改革開放から20年がかかった。
 中国の人々が、スポーツを純粋に楽しみ、勝った相手チームを罵倒するのではなく、負けた中国チームを冷静に分析することができるようになるのには、何年かかるのだろうか。
 はっきりしていることは、北京オリンピックが開かれる4年では足りない、ということではないか。

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2004年8月5日(木)

坂口大臣に質問

 今日の午後2時25分から30分、厚生労働委員会で坂口大臣に質問をさせてもらいました。
 細かなやり取りは、後日HPに詳しくのせていきますが、面白いな、と思ったこと。

 民主党からは山本議員が年金問題、社会保険庁の問題を質問。小林正夫議員が介護、雇用問題を質問。辻泰弘議員が年金問題を質問。そして、私が少子化問題を聞いたのですが、質問者、質問内容によって、答弁する坂口大臣の周りや後ろに座る厚生労働省の職員がワラワラっと変わるんですね。で、質問によって、毎回違う担当者が答弁に関する資料やペーパーを大臣に渡すんです。
 実に多方面にわたる分野を担当している厚生労働省ならでは、の光景なのかもしれません。ただ、自身の担当分野の質問や答弁が終わると、たくさんの資料、大きなカバンを持って、さっさと席を立ち、次の担当者に変わる職員の姿を見ていると、省内での横のつながりなんてないんだろうな、と。だから、出生率の数字も、省内では年金改正法が成立する12日前に把握している人がいながら、大臣に報告する作業に時間がかかったんだろうか、と。
 なんか、非効率的。

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2004年8月4日(水)

委員会質問

 国会に初登院してから5日目、慣れるも慣れないも、まだまだ、わからないことだらけの今日、昼過ぎに辻泰弘厚生労働委員会の理事から電話がありました。(報告が遅れましたが、私は厚生労働委員会に所属が決まりました!)
 「あさってね。委員会が開かれそうなんだ。で、質問に立ってもらえますか」
 「…」
 「は」、である。「質問?」、である。
 「時間は30分だからね」
 辻さんの言葉は続く。
 事態の重大さに気づく間もなく、思わず「はい」と即答をしてしまいました。委員会で坂口大臣に聞けるなんで、嬉しい機会をいただきました。
 とはいえ、質問を用意するために部屋にこもる時間が始まりました。膨大な資料に囲まれてますが、選挙でも皆様にお約束したママフェストを原点に大臣に聞きます!

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2004年8月3日(火)

台湾のケーブルテレビが取材に来た。

 台湾のケーブルテレビが会館の部屋に取材に来た。
 信じられないけど、7月11日以降、台湾でも、中国でも蓮舫の初当選を「初の華人議員誕生」、として大きくメディアで扱われた、そうです。
 台湾は父が生まれ育った故郷、中国は私が留学した思い入れのある場所。そこでニュースになった、と聞いた時、議員になる重みを改めて実感しました。
 会館の部屋にも、少しだけ慣れ始めました。少ない荷物を運び込み、引っ越しも無事終わりました。ようやく、一歩ずつ踏み出せます。
 この「蓮舫のつぶやき」では、会館で、国会で、プライベートで。私が感じたことをつぶやいていきます。
 ところで、台湾の記者に帰りがけに聞かれました。
 「今日は国会はないんですか?」
 確かに。
 8日間の日程で国会が開催されることは決まったけど、初日は議席を決めたり、議長(扇千景さん)と副議長(角田義一さん)を選挙で選出して終わってしまいました。昨日、おとといは週末でお休み(!)。今日は衆議院で国会が開かれるのみ。気がつけば、会期は残すところ4日のみ。
 民主党は徹底した議論をするつもりで一ヶ月の会期を要求しましたが、与党の数の力で押し切られ、8日の会期になりました。でも、その会期もゆるゆると過ぎていき、実質審議時間なんて、ないに等しいのです。
 永田町の常識って何だろう。

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