2005年4月のつぶやき

2005年4月27日(水)

大先輩、仙谷由人衆議院議員

 昨夜、都内のホテルで仙谷由人民主党政調会長のパーティがありました。私が初めて仙谷先生に会わせていただいたのは、今から10数年前。仙谷先生が中心となって若手政治家が「シリウスの会」というグループを立ち上げた時でした。自民党政権が半世紀続き、政治と金の問題が後を絶たず、政治の閉塞感、人々の政治改革への期待が高まっていた時で、仙谷先生の歯に衣着せぬ物言いがとても印象的でした。当時、私はメディアとして先生を取材をする立場でしたが、まさか、今、新人ながら同じ政治家になるとは想像もしていなかった時のことです。
 パーティでは司会をさせていただいたのですが、ジャンルを問わず実に多くのお客様がご参集くださいました。なかでも、衆参の国会議員は100人以上来られました。通常、政治家のパーティに来られる政治家は、顔を出しては、すぐ次の会合に向かうものですが、昨夜はほとんどの国会議員が来賓の挨拶、仙谷先生の挨拶、そして乾杯までと残られていました。さすが、のお人柄だと思いました。
 政策、政局、人徳と、全てにわたって尊敬する大先輩です。

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2005年4月26日(火)

大惨事

 福知山線の事故についての報道を目にするたびに胸が詰まります。
 ご家族、愛する方を失った悲痛な声。突然の事故、訃報へのとまどい。
 JR西日本の社長が謝罪会見を行っても、この事故の責任は免れません。安全を軽視し、多くの人命を失い、怪我をされた方々の精神的苦痛を和らげることはできないからです。
 事故が発生してからの安全再確認はあってはならないことです。
 お亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

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2005年4月25日(月)

統一国政補欠選挙

 結果は二連敗でした。
 衆議院議員補欠選挙。告示以降、何度も宮城と福岡に入り両候補者の応援をさせていただきました。会うたびごとに2人の「勝ちたい」との思い、「まっすぐに政治に取り組みたい」との思いを受け止めてきました。勝たせたい、選挙でした。
 ただ残念です。民主党を応援してくれた宮城、福岡の皆様には次回総選挙で答えを出していきたいです。
 宮城が36.75%。福岡は45.99%。それぞれ3人に1人、2人に1人の投票率。投票率が上がれば勝てた、民主党に有利だった、と聞きますが、どちらが勝つ負けるではなく、国民の政治への不信を如実に表している投票率をどうやって高めていくのかが、今日から全ての国会議員に問われます。

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2005年4月21日(木)

雄弁会

 昨夜、手塚よしお衆議院議員と広田一参議院議員と、お二人と同じく早稲田大学時代に雄弁会に所属をしていた方々とご一緒にお食事をさせていただきました。
 雄弁会。数々の歴代総理を選出している伝統と実績のある会。自民党、とのイメージが強かったのですが、昨夜の話題は、雄弁会ではいかに「雄弁」に話すために頑張るか、先輩方の鋭い指摘や質問に答えるために、どうやって自分を高めていくかの、それはそれは厳しい会だったとの思い出話。
 大学2年生の頃からテレビの仕事を始めた私は、大学生時代に「政治」に全く興味を持っていなかったことを思い出し、ただ頭が下がりました。
 ところで、議員にさせていただいてから、民主党の部会、勉強会、委員会などを通じて実に多くの政治家とお付き合いをさせていただいています。
 わかったことは、民主党には若くて優秀で、多岐にわたる職業から転職(?)をされてこられた方が多い、ということ。「政権」を担う思いを共有しているので、お互い勉強をして高める、との思いも強い、ということ。
 メディアでは、民主党は若くて、実績がなくて、バラバラで、不安定…などと評されますが、この仲間と一緒であれば、その批判は当たらないな、と思います。
 残念ながら「政治は数」。一人でも多くの仲間を増やしたいと思います。

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2005年4月15日(金)

止まらない反日、抗日デモ

 昨日、香港への出張から帰ってきた友人から、「日本ではあまり報道されていないけど、香港でも反日デモが激しかったよ。だから、ホテルで食事をしたんだ」と言われた。
 上海、北京、深せん、香港。今回の止まらない反日、抗日デモは豊かな地域で始まったことが特徴です。今週末にも大規模デモがインターネットを通じて呼びかけられている、とのことです。
 中国政府はデモの原因は日本にある、と公式に発表しました。それゆえに、天安門事件時のように、人民解放軍を使って強制的にデモを収束させる手法はとれなくなり、人民が自発的にデモや日本製品不買運動を止めるのを待つしかなくなりました。6月4日は天安門の日です。今の一連のデモ活動が一転して政府に対する民主化要求運動に変わらないとも言い切れません。
 他方、アメリカでは、映画、音楽、出版産業が加盟する国際知的財産権同盟(IIPA)などの民間団体が、知的財産権保護で対中強硬策を要求し、米中貿易摩擦が一段と激化する可能性が出てきています。
 IIPAは、中国で売られている米国の音楽や映画、ソフトウエアの9割が海賊版で、米国企業の2004年の被害額は少なくとも25億ドルに上ると指摘。中国が大量の海賊版を放置し、知的財産権を侵害し続けているとして、世界貿易機関(WTO)に対して法的措置を取るよう米通商代表部(USTR)に要求しました。IIPAがこうした要望書をUSTRに提出するのは初めてのことです。
 同時に、アメリカ上下両院の議員の間からも人民元の公式価格と実勢価格の差に相当する懲罰関税を中国からの輸入製品に上乗せする法案を提出する、という動きが出てきています。
 国際社会の一員として、中国政府はどういった動きにでるのでしょうか。
 

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2005年4月13日(水)

今朝、子どもたちが学校に行く直前に3人で父の仏壇に手を合わせました。
 今日は父が他界してから11年目になります。
 仏壇から離れると子どもたちは口々に言います。
「おじぃちゃんって、やさしかった?」
「会いたかったな」
 子どもたちも8歳になり、その分私も年を重ねています。そして、政治家になってから9ヶ月がたちます。
 父が生きていたら、今の私をどう見てくれていたのかを実はいつも気にしています。
 
 

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2005年4月11日(月)

反日デモ

  中国での反日デモがとまりません。
 「広州・深圳で3万人デモ」、「中国で反日デモ拡大」、「外交日程見直しも」など、今朝の朝刊各紙もトップ項目でこのニュースを取り上げています。
 邦人が殴られて怪我をしたり、日本大使館の窓ガラスが割られたり、日本車が襲われたり、日本料理店などが投石を受けている、という報道が次々に伝えられています
 中国語ではデモのことを『游行』と言います。私が北京に留学していた時に、
労働者の権利として游行があり、人々は口々に『口号』(スローガン)を叫ぶ、といった内容の文章を学んだことがあります。
 ただし、中国でデモを行うには当局の許可を受けなければいけないこと。例えば法倫功のような宗教団体など、特定の団体が自然発生的にデモを行えば、すぐさま公安(警察)に逮捕されます。政治信条の自由や表現の自由が厳しく制限されている中国の政治体制下では、游行、口号などの学んだ言葉は使われることはありません。
 今回、中国当局はデモを煽動していない。ネットが引き金になった。責任は中国側にはない、と発表していますが、にわかには信じられません。
 今回のデモに参加している中国人全てが日本の国連常任理事国入り、日本の教科書問題に反対をしているわけではなく、多くの人が、中国で広がる一方の貧富の格差や日々の生活の不満を、デモを活用して発散していると見ますが、今年は日本にとっての終戦後60年。中国にとっては抗日戦争勝利60周年にあたります。デモの動きや日本製品不買運動が、このまま「反日」の形で継続し、夏まで収束しなかった場合、日中関係は壊れると思います。そして、一度壊れた国民同士の信頼関係を再構築する難しさを憂慮します。
 さらに言えば、中国では大規模デモを収束させる形はこれまで2つしかありません。一つは自然解消。デモによって人々の不平不満が発散されガス抜きされれば、結果、デモに参加する人が減り、静かな日常が戻ってきます。昨年から中国内陸部で繰り広げられていた労働者のデモ活動は、こうした形で矛を収めてきました。 
 もう一つは人民解放軍による武力による鎮圧です。
 天安門事件のように、同じ国民に軍が発砲をする事態です。
 中国当局がどういった対応をとるのか。日本政府はどこまで冷静に、かつ媚びずに主張をするのか、が問われますが、第二の天安門にさせない外向努力が政治に求められています。

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2005年4月6日(水)

ずっとママといっしょ

 昨日のことです。夕方、息子から電話がかかってきました。
「ママァ…」
 涙声です。どうしたのか聞くと
「ママ、ぼくは18才になったらお家を出ないといけないの?」
 と、号泣。
 どうやら、家で父親に「18才になったら自立するために家を出て独立して生活をするんだよ」と言われたようです。娘は「絶対に嫌だもん」と一言ではねつけたようですが、甘えん坊の息子はその言葉を素直に受け止め、母親と別れるのが悲しくて涙ながらに電話をしてきたようです。
 その素直さが可愛くて、「ずっとママと一緒だよ」となだめました。
 それでも「本当に?ママと一緒でいい?」、「パパに言ってくれる?」と泣きべそをかく息子でした。
 思わず、「大丈夫、18才になったら出て行くのはパパだから!」と言いそうになりました。
 息子というのは、なんとも愛すべき存在です。

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2005年4月5日(火)

子ども達の誕生日

 4月2日は、子ども達の誕生日でした。
 一週間も前から、その日を楽しみに指折り数えて寝ている娘と息子の姿には癒されていました。
 当日は学校のお友達をそれぞれ6人ずつ呼んだので、子どもだけで14人…。
子ども達の奇声が飛び交い、部屋はグチャグチャ、家具はボロボロ。さっきまで家にいたかと思えば、外の公園でドッジボールをする声が響くなど、一時たりとも同じ場所にはいません。かと思えば、全員で一斉に帰ってきて「お腹が空いた」、「のどが乾いた」。
 幼稚園に通っていた時とは違い、小学校に上がると、なかなか友人関係や友達との付き合う姿を見ることがないので、娘と息子がそれぞれ友達と触れ合う様子や会話を耳にするのは、なかなか豊かな時間でした。
 8年前、娘は1850グラム、息子が2350グラムで生まれてきました。あまりにも小さく、細かった乳児の頃。いつ終わるともしれない育児に追われていた頃を懐かしく思い出しました。
 子どもは育つ。いつかは自分から離れていく。そんな当たり前のことを噛みしめました。離れて行く前にと、その日は3人川の字になって休みました。

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