2006年11月29日(水)
審議日程
昨日の教育基本法特別委員会が始まる前のことですが、委員会所属議員が集まり出した時に、自民党の鴻池議員が、「中曽根委員長!お誕生日おめでとうございます!」 と、大きなかけ声。その場にいた議員一同で拍手。すると中曽根委員長が、「鴻池委員もお誕生日おめでとう!」 続いて、鴻池議員が「蓮舫さんもお誕生日だ!おめでとう」 委員会室は笑い声と拍手に包まれましたが、委員会のメンバーで3人が同じ誕生日ということもあったこと、議員として大先輩で尊敬する鴻池議員と中曽根委員長のお気遣いにとても豊かな気持ちになった時間でした。 とはいえ、委員会審議は与野党真っ向から対立。 不当な支配とは。教育の方針と目標の違いとは。子どもの権利条約と国内法との整合性とは。国を愛する態度とは。 法案の逐条審議が7時間続けられましたが、まだまだ政府案の意図する教育理念は明らかにならず、民主党案でも審議されていない点が多く存在することがわかりました。今朝の朝刊では、与党は7日に委員会採決、8日に本会議で採決するとの方向を打ち出しているようですが、実は8日から13日まで、安倍首相が外遊に出かけることになっているため、総理出席の審議日程を急がないと、今国会会期中の法案採決は日程的に難しくなるとの考えが与党にはあるようです。優先すべきは総理の日程ではなく、中身のある審議だとの思いを強くしています。
2006年11月28日(火)
復党
小泉前首相が掲げた郵政民営化法案に反対票を投じ、小選挙区に別の自民党公認候補をたてられ、離党をさせられた11人の衆議院議員が自民党に戻ることになりました。 去年のあの総選挙で、自民党が掲げたスローガンは「改革を止めるな」。そして、党の方針に反対をした代議士を除名したことで「古い自民党を改革した」と主張をしていました。 あれから、一年。国民に訴えた事さえまるでなかったかのように、誓約書を添えて復党希望を提出した11人を認めることになりました。安倍総理は、その理由を国民に直接語る事なく、中川幹事長と青木参議院自民党会長に対応を一任。復党までの経緯や理念、説明責任を果たすことのなかった、この一連の自民党劇。 一体、小泉前首相と安倍総理の言われる改革とは何なんでしょうか。
2006年11月27日(月)
委員会審議
参議院で審議が行われている教育基本法特別委員会で、理事の仕事をさせていただいています。与野党の理事で日程協議、審議時間の調整を行い、党の国対との調整、質問者の配置、時間配分調整。そして、朝から晩までの委員会審議。あっという間に一日が終わっていきます。「つぶやき」を更新する時間もないほどですが、審議をされている「教育」の重さは本当に実感をします。国の教育理念を改正することの大切さも痛感しますが、他方で、やらせタウンミーティングの問題、いじめの問題、未履修問題など、今、教育現場で発生している問題への対策も政治に求められる急務であるにもかかわらず、すでに、与党側から聞こえてくる声は、採決を一日でも早く行いたい、というもの。政府与党提出の教育基本法改正案採決の日程を決めた上での審議とは一体何でしょう。まず、法改正ありきで、その後に今発生している問題への対応をとる、という姿勢は理解できません。今日から法案への逐条審査質疑も始めていきます。残念ながら、こうした真面目な審議内容が細やかに報道されることが少ないのですが、どうぞ、多くの方に注目をいただき、法案の審議内容の行方に興味を持っていただきたいとお願いします。
2006年11月22日(水)
教育基本法特別委員会
今日から、参議院の教育基本法特別委員会が設置され、政府提出の教育基本法改正案と民主党提出の日本国教育基本法案、学校振興法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案の審議が始まりました。 教育理念の大切さは私も党も深く理解をしています。だからこそ、対案を示していますが、この数ヶ月だけでも日本全国で連鎖するかのように起きている「いじめ自殺」。命の問題に国政は迅速に対応すべきで、理念と同時に対応策を審議し、実効性のある対策を講じるべき、と考えています。 今日、質問をさせていただくと、総理は「いじめはあってはならない。」 としたうえで、政府としても全力で取り組む、としながら、スクールカウンセラーで対応をしている、と答弁されましたが、スクールカウンセラーは小中学校の半分にしか配置されておらず、しかも、1人で平均1.8校を掛け持っていることから、子ども一人一人にきめ細やかな対応をするにはあまりにも不十分です。スクールカウンセラーのこうした現状は教育行政にかける予算の脆弱さを表していますし、この対策だけで「いじめ」問題が解消することはあり得ません。やはり、予算をかけ人を多く配置し、多くの大人が子どもの心の問題に気配りをかける体制を整えることが望まれます。 いじめ問題にあわせ、政府主催のタウンミーティングで「やらせ発言」が行われていたことも明らかになりました。国民の声を国政に反映させるとして開催されるタウンミーティングで、その声を内閣府と文科省が一体となって作り上げていたことは、民主主義の否定にもなります。しかも、内閣府がタウンミーティングを発注する広告代理店に示していた「仕様書」での「契約単価内訳表」では、あまりにも常識とはかけ離れた経費を認めていたことが明らかになりました。 タウンミーティングに参加する大臣を空港(または駅)でお出迎えをし、車寄せで待っているハイヤーまでご案内をすると15000円。 会場でハイヤーで到着した大臣をお迎えしてエレベーターまで案内すると40000円。 大臣が降りたエレベーターから控え室まで案内すると15000円。 さらに、大臣がエレベーターを待たないようにボタンを押す係には5000円。 そうした経費を認めたうえで開催されたタウンミーティングの費用は一回平均900万円。もし、このお金を民間イベントなみに適正に見直せば、この額が圧縮されると想像できます。教育改革タウンミーティングにかける予算が圧縮できれば、その分をいじめ対策への予算として使うことが可能です。しかも、これだけの予算をかけて行われたタウンミーティングでも、やらせ発言が行われたことで、その開催自体が無意味になり、使われた税金は意味をなさないことにもなります。 お金の適正な使い方をする。望まれる施策にきちんとお金を使う。理念だけではなく、今教育現場で起きている問題に対応できるような施策を講じる。 今日から始まった教育基本法特別委員会での審議をさらに深めて、この国で生まれ育ち、学ぶ子ども達のための議論をしてきたいと考えています。
2006年11月20日(月)
圧倒されます
私の母が、仲良しの友人3人と上海カニ三昧旅行に行ってきました。 ここ数年は、私と母の二人で上海に出かけていたのですが、無類のカニ好きな母と、カニアレルギーで全く食べられない私とでは、食事が難しかったので、今回は友人たちと出かける事にしたものです。 昨日、帰ってきた母とは、カニが美味しかった事、安く値切って買い物を存分に楽しんだ、とのお土産話で賑わったのですが、ダウンのコートにジャケット、小物に、靴に、アクセサリーと、実に大量な買い物をしてきたようです。中でも、驚いたのは、「シルクだったの!」 と、シルクのカバーの枕まで買ってきたのです(中身は当然普通の枕)。しかも、「私はいいほう。友人は布団セットまで買ってきたのよ!」 と…。 いやいや。そのパワーには本当に圧倒されました。 国内外で消費パワーを発揮する母の世代に感服したのでした。
2006年11月15日(水)
政府の姿勢
衆議院の教育基本法特別委員会は、野党の委員欠席のまま与党単独で採決を強行し、政府与党提出の教育基本法案が採決、可決されました。 安倍総理が掲げる教育改革の第一歩として、なんとしてもこの国会で法案を通したいとの思いは、与野党で審議を尽くすことなく、また、いじめ問題をどうやって解決していくのかは審議をされず、政府主催のタウンミーティングにおける「やらせ問題」は調査中であるとして詳細な報告をせず、高校生の未履修問題への対応は終わったこととして、何が何でも教育基本法改正を優先した姿勢に、この国で育つ子どもの豊かな学びを包括する理念法を尊重しているとは全く思えません。 さらに、今日、国民新党の亀井幹事長が会見をして明らかになりましたが、教育特別委員会の委員である国民新党の糸川委員のもとに、自民党の農水副大臣が、与党法案に賛成をしてくれれば、次回の総選挙は自民党公認でコスタリカ方式で当選できる、として法案に賛成するように要請していたのです。 現実問題を直視し、迅速な対応を講じないどころか、委員の買収にも近い行為を堂々と行うというのはどういうことでしょうか。 教育を政局にしてはいけない、と思います。実際に審議では、また視察でも、与野党の議員の間に問題意識、認識に大きな差異はありません。だからこそ、いじめ自殺、やらせ問題、未履修問題へ対応できる法案内容に修正していこうという与党の姿勢が望まれましたが、残念ながら、何が何でも面子を通すという政府の姿勢だけが結果として残されることになりました。
2006年11月13日(月)
命を伝える
一昨日、我が家の最長老だった猫の「丸」が天国にいきました。 生まれた時から猫がいる生活なので、息子も娘も動物を可愛がる、という気持ちが自然に身に付いています。 ここのところ寒くなってきていたので、丸は、毎晩、私と息子が一緒に寝ている布団に入ってきては、喉をグルグル鳴らしていました。息子は丸が布団に入ってくると、寝ぼけたままでも手を伸ばして頭をなでるなど、愛おしむことを当たり前としていただけに、相当なショックを受けました。娘も学校の担任との連絡ノートに、「元気だったのに、悲しいです。冷たくなっていた様子はかわいそうでした。私は泣きながらこの日記を書いています」と書いていました。 それだけに、毎日毎日、ニュースから流れる「自殺」報道。なるべく、子ども達の前ではニュース番組を見ないようにしていますが、それでも、自殺ニュースが放送されると、二人は言います。「どうして死ぬの?」、「どうして誰も守らなかったの?」。 去年の「つぶやき」でも紹介しましたが、日経新聞に沢木耕太郎さんが『いのちの記憶』という随筆を寄稿されていました。 小さい時、毎朝決まった時間に起こしてくれる父を見て、「お父さんはどうしてこんなに早い時間に起きられるのだろう?」と考えた。食事の時、自分のお皿のものを食べてしまうと、母が「食べなさい」と言って自分のおかずを分けてくれた。「お母さんはおなかがすかないのだろうか?」と考えた、と。今、父親になってわかったこととして、「睡眠」を削り、「食物」を削るということは「生命」を削るということと等しい行為で、「自分の命を削って子に与える」ことが「いのちをごく自然に伝えられることになる」と沢木さんは書いています。 本当にその通りで、とても感銘を受けました。 今の時代はどうなんでしょうか。私は、命を削る努力をして子どもを育てているのか、といつも自問をします。でも、昨今のように「子どもの自殺」が相次ぐ中では、私と夫が生活の中から言動で伝え、子どもが私達の思いを汲み取る力を身につけていくだけでは、だめなんだろうな、と痛感します。「いじめ自殺」という言葉だけが一人歩きをし、子ども達が学校で、友達とこの言葉を冗談で使っていないか、を心配します。 沢木さんが書かれていたように、子どもを育てている保護者には、生活から命を伝えることが自然に行われることと同時に、今の時代は、命の尊さを語っていく努力も要する、と思います。 悲しい事件が報道されました。先月秋田の農業用水路で亡くなった4才の男の子。殺めたのは実の母親とその交際相手だった、というものです。男の子は、車の中で頭や顔を殴打しひん死の重傷を負わされ、用水路に放置され、窒息して亡くなりました。逮捕された二人は「子どもがうるさかったから」と、殺害の動機を供述していると伝えられます。 男の子には、せめて、お母さんが優しくしてくれた記憶を持って天国にいってもらいたいと強く思います。 私は、人は「生きる」ために生まれてくるものと思います。生まれてきたから「生きる」のだと。 死なないでほしい、殺めないでほしい、のです。
2006年11月9日(木)
「仕事」を体験
子ども達が「キッザニア」に行ってきました。 今年10月に東京の豊洲で開業した「キッザニア」は、2才から12才の子どもだけが、遊びながら大人の仕事を疑似体験できる施設です。実物の3分の2のサイズで作られた街には、お菓子工場、警察署、銀行、劇場などなど50を超えるパビリオンがあり、子ども達は、自分が体験したい仕事を選んで働き、「キッゾ」という館内だけで使える給料をもらうのです。キッゾは銀行に貯金してもいいし、館内でお買い物をする時に使ってもいいもので、働いて稼ぐ、貯める、使う実感を持たせてくれるシステムになっています。 帰ってきた子ども達が言いました。「ママ!すごかったよ。見てこんなにお金を貯めたよ!」 いただいた財布にぎっしりとつまったキッゾを見せる息子。「ママ!ラジオのDJをやったら、CDにしてくれたよ!聞いて聞いて!」 軽やかなテンポのBGMにあわせて、今日の星占いを伝える娘の声。 他にも、裁判長になって無罪判決を言った。警察官になって事件を調べる時に指紋を調べたよ。消防士になって火を消した。モデルになってポーズを決めたよ。ビューティサロンで、建築現場で、新聞社で、パイロットとして働いた、との嬉々とした報告が続きました。「また、行きたい!」と、声を揃える子ども達。なんて素敵な経験をしてきたのか、と喜んでいると、二人が私に聞きました。「ママは、今日、何のお仕事をしていたの?」 明日開かれる委員会での質問を作っていた、と伝えると、これも声を揃えて言われました。「いいなぁ、質問を作るだけの簡単な仕事で!」 今の日本の教育では、『仕事』に興味を持つ楽しさを学ぶことはできません。厚生労働省が、雇用保険の特別会計を財源に建設した、京都にある「私のしごと館」は、収入が1億円にもかかわらず年間の維持費に21億円もかかるという赤字施設です。改めて、民間の知恵、力、魅力を実感しました。 子どもが仕事、働くことに夢を持ち、その夢を実現するための教育を与えたい、とも強く思いました。
2006年11月8日(水)
「いじめ」の現場で
昨日、参議院の文教科学委員会の理事全員で、小学6年生の女の子がいじめを苦に自殺をした北海道滝川市に視察に行ってきました。 去年、女の子が学校の教室で首を吊って命を落としました。7通の遺書が残っていました。そこには、あきらかに「いじめ」を苦しんでいた内容が書かれているにもかかわらず、学校、市の教育委員会、県の教育委員会は1年かけて「調査」を行った結果、この自殺は、いじめが原因ではないと会見で明らかにしたのですが、メディアを中心にした反発を受け、その二日後に自殺の原因は「いじめ」であると一転して認めました。一体、調査とは何であったのか、組織で「隠蔽」をしたのではないか、という教育関係者への不信も大きく報道されました。 昨日は、県と市の教育委員会、学校関係者、保護者の方々にお話を聞きましたが、誰が責任を持って、この自殺の原因を特定し再発防止を徹底するのか、という姿勢が見えてこなかったことに愕然としています。 この女子児童の通っていた学校は1学年1クラス。いじめがおきた小学5年生の時のクラスの人数は30数人。ご遺族は、自ら調査した結果で、クラス全員にいじめられていたのでは、と言われました。修学旅行でこの児童が女子のチームに入れてもらえず、男子のチームに入らざるを得なかったこと。席替えで明らかにこの児童が外されていたこと。クラス内で、この女子児童がいじめられているという「兆候」に何故、先生が気付かれなかったのか。 当時の担任は、「すでに解決済みで、大きな問題ではないと考えた」と言われました。解決済みだから校長、教頭に報告もしなかったのです。しかも、この担任教師は、事件が発生した翌年の春に他の学校に赴任をしています。北海道では、平均4年に一度、教師の配置転換が行われますが、この担任はわずか2年で学校を変わっているのはどうしてなのか、と聞いたところ、学校は「この教師から申し出があった」と言われたので判断した。上申を受けた市の教育委員会は、この上申を受け事務的に人事権のある道の教育委員会に上申をしました。道の教育委員会はこの申し出を認め、教師の配置転換をしました。 担任として受け持っていた児童は中学生になりましたが、他の学年の児童はそのまま学校に通っています。その児童も保護者も、通う学校で自殺事件があったという現実に向き合わざるを得ません。そうした中、自殺をした女の子の担任だけが、他の地域に赴任をしたことは、子どもに親にどのように映るのでしょうか。 今、問われているのは子どもを守り、育みを支える「大人の本気」です。問題が発生した現実から大人が「逃げる」ということはあってはいけないと思います。私のこうした指摘について元担任は言われました。「申し訳ない」。校長は言われました。「本人の申し出があったので処理しただけで…」。そこに、自殺をされた女の子の訴えをくむ、残された児童の心のケアを何より優先するんだという姿勢は見られませんでした。 学校、市町村の教育委員会、都道府県の教育委員会、そして文科省という教育行政の四層構造が、責任をあいまいにすると同時に子どもより組織を重視するという傾向をもたらしているのではないでしょうか。改めて、私たちが提案をしているように、国の責任の明確化、学校と地域が学校運営を主体的に行っていけるような制度改革が求められると実感をしています。
2006年11月6日(月)
下村官房副長官
下村官房副長官が発言しました。「(特にゼロ歳児保育に)税金投入するなら、(母親は)無理に働かなくても、家庭でしっかり子育てをやってもらえるようにシフトしていくほうが望ましい」 介護に追われて育児がおろそかになる。両親が共に働かないと生活できない。母子家庭で母親の就労だけが生活を支える。兄弟が障害を持っているために預けざるを得ない。 様々な理由が保育所需要につながっていて、待機児童が減らないという現実があり、政治に解決してほしいという声があります。それどころか、共働きの母親よりも専業主婦の母親のほうが育児ストレスが大きいという調査結果があり、育児の社会化が叫ばれているのです。その現実を見ずして、あたかも母親が保育所に甘えて、「無理に働いている」というのでしょうか。 保育所への税金投入を見直したい、というのであれば、特に母親が働かざるを得ない、保育所に子どもを預けざるを得ないのは、どうしてなのかを調べ、その原因を分析し、問題を解決するための提案を共にするべきではないでしょうか。 官房副長官たる者の発言とは思えない、と受け止めればいいのか。安倍内閣の考え方として受け止めればいいのでしょうか。どちらにしても、実際に育児をしている者にとって遠い感覚を持った人だな、と思います。
2006年11月2日(木)
教育行政の問題点
昨日、民主党の文科委員会に携わる仲間で調査団を組み、相次ぐいじめ自殺は何故発生し、何故、防ぐことができないのかを現地で調査するため、岐阜と福岡に行ってきました。 痛感したことは、教育に携わる立場にある大人の「本気」が見えてこなかったこと。 福岡県の教育長は言いました。「町が調査委員会を作ると聞いているので、協力はする」 町の教育委員長は言いました。「学校で調査をしています」 いじめのきっかけを作ったとされる先生は入院中で会えませんでした。亡くなった生徒が通っていた学校長、教頭、先生らへの面会は拒否されました。 自殺をした男子生徒が遺書に残していた言葉。「いじめられて もう いきていけない」 それでも、教育関係者は「いじめ」が自殺の原因だったとは特定できていない、調査中だと繰り返します。文科省の担当者に聞いても、「まだ、教育委員会から報告がきていない」 との返事です。 岐阜県の教育長と市の教育長は言いました。「亡くなった女子児童は頭もよく、がんばりやだから、『メモ』に残されていた内容を見ても、学校のことではなく、運動やクラブの事で悩んでいたのかと思った。先入観があったことが、いじめが自殺の原因と特定するまで時間がかかった」 『メモ』とは女子生徒が残した『遺書』のことです。女子生徒が死をもって伝えたいとした遺書を、教育長は『メモ』と平気で言いました。 文科省も、現地の教育委員会の人たちも口を揃えて言います。「二度こんな不幸なことを起こしてはいけない。再発防止に全力で努める」 再発防止をするためには、原因を究明し、事実を把握し、何が問題であったかを本気で調べることが必要で、ご遺族への誠意ある姿勢を示し、不安を覚えている他の児童生徒への配慮を示す事ですが、残念ながら両県の関係者から、その「本気」が見えてきませんでした。 今の教育行政は責任の所在があいまいです。 教科書の中身や学習内容は文科省が決め、教員採用人事は都道府県の教育委員会が決め、学校の設置運営は市町村の教育委員会が決め、学校には現場をまかす、という教育の四層構造。学校で問題があっても、文科大臣は県の教育委員会に指導しかできず、県の教育委員会はその指導をさらに市町村の教育委員会に指導、市町村の教育委員会は学校に指導をするという構図が法律で決められていて、国が責任を持って学校を調査し、事実を究明し、問題解決を図ることが出来ないのが、今の教育行政です。 それぞれが「本気」で問題発生予防、問題解決に取り組まなくても、誰も責任を取らなくてもいい制度は、学校で問題が発生しても解決できない仕組みを生んでいます。 今、国会では安倍総理大臣が意欲を示す「教育改革」のため、教育基本法案が審議をされていますが、政治が迅速に取り組むべきものは、実際に発生しているいじめ自殺の原因究明、制度欠陥の再点検と見直しをして、命を失わないようにすることであり、高校生の履修漏れが起きてしまった教育行政の問題点を改善することではないかと思います。 残念ながら、永田町で漏れ伝わってくるのは、教育基本法案を何日までに衆議院で通過させ、参議院で審議させ、今国会内で通過させるという日程論です。 優先されるべきは日程論ではなく、学校での問題を解決させるために何をすべきか。子どもを育てる教育行政の欠陥を正すため何をすべきか、という内容論です。教育改革を唱える総理から、こうした強い思いが伝わってこないのは何故なんでしょうか。