2006年7月27日(木)
国会審議を
アメリカ産牛肉の輸入再開が、国会で審議されることなく政府によって決定されます。アメリカの施設を視察した農水省、厚労省が、34カ所の施設において処理される牛肉の安全性に「問題はない」と輸入再開を認めたことを受けてのものです。でも、昨年末に米国産牛肉の輸入再開を決定した時にも両省は「問題がない」としていましたが、その直後に輸入が禁止されている背骨付きの牛肉が堂々と日本に輸入されました。わずか半年で両省の査察能力が高まったという保証はありません。しかも、今回の現地施設視察はわずか1ヶ月で34カ所の施設を見て回ったものです。さらに、そのうちの1施設は、昨年米政府によって対日輸出施設と認定される前に牛肉を日本に輸出していた施設です。食の安全は本当に大丈夫なのか、という疑問は、国会審議を通じて払拭されるべきではないでしょうか。 他方、レバノン情勢が緊迫をしています。ローマで開かれている外相級の国際会議では「即時停戦」の呼びかけについて合意することが出来ませんでした。レバノンのヒズボラとイスラエルの戦闘激化によって、レバノンの民間人の死者、イスラエル軍兵士の死者の数が増え続けています。実は、日本はレバノンとイスラエル、シリアの国境に位置するゴラン高原に、96年から「国連兵力引き離し監視軍」として陸上自衛隊の隊員を派遣しています。今も43人のメンバーが輸送隊として任務を行っていますが、果たしてこの地域は「非戦闘地域」なのかどうか。平和のために国際会議の場で日本が果たす役割、そして、自衛隊の国際貢献のあり方も含めた議論も国会で行われるべきではないでしょうか。 メディアの報道を見ると、秋に行われる自民党総裁選挙が大々的に報道をされています。確かに、次の首相が誰になるのか。首相候補の政策方針などは国民にとって関心事ではありますが、問題は、秋までの政治が空白になっていていいのか、ということです。 日銀総裁の村上ファンドへの投資の問題、米国産牛肉輸入再開、レバノン情勢、豪雨による被害救済策。すぐさま講じなければならない政策が山積している現実。民主党は再三再四、与党に対して国会を開くように、閉会中審査を行うように、与野党国対委員長会談の申し入れを行っていますが、私どもの申し入れに対して、与党が積極的に応じてくれる返答は一切返ってきていません。 次の首相選びも大切ですが、今やるべきことも重要だという意識が欠けているとしか思えません。
2006年7月26日(水)
不正な利益
日経新聞の社員がインサイダー取引で不正に利益を得ていたとして東京地検に逮捕されました。 日経本社の広告局に身を置いていた笹原容疑者は、紙面に掲載される上場企業の株式情報広告を、掲載以前に知る立場にいたことから、その情報を不正に利用し利益を手にしていました。朝刊の段階で利益は「3000万円」と報じられていましたが、その後のニュースでは株売却益は「7000万円」を超す、と伝えられています。昨日、記者会見をした日経の社長は、再発防止に全力で取り組むとして、370人の広告局社員を対象にして在職中に株取引にかかわらないとした誓約書を提出させたといいますが、遅きに失した感は否めないと思います。このニュースで気になることがあります。笹原容疑者は事前に知り得た株式情報を悪用し、総額2億4000万円を投資して株を購入していましたが、31才の容疑者が持っている私財としては非常識的な額です。事件の経緯は捜査が進むにつれて明らかになってくると思われますが、仮に、投資した原資が、インサイダー取引で得た利益を元手にしながら投資を繰り返していたのであれば、手元のお金が少なくても、得た情報で確実に儲けることのできるマネーゲームを行っていたことになります。 日銀の福井総裁が1000万円を投資して1500万円もの利益を得ていたことに対して、同時に、その利益を「たいした額じゃない」と発言したことに対して、国民の8割が総裁辞任を要求する世論調査が出ています。 国民の間に広がっている「不平等感」を取り除くことが政治に求められます。そして、お金は楽をして手に入れるものではなく、「働く」ことの大切さを子ども達に教える大人の行動が問われています。
2006年7月25日(火)
あり得ない
「あり得ない」 銀行に勤める友人に聞くと即座に返答されました。 郵便貯金の窓口で現金を渡しすぎたり、もらいすぎたりしていて勘定があわなくなる現金過不足が、05年度でなんと約5億円にのぼっていたことが伝えられました。民間の銀行では、例え1円だとしても過不足が生じないように、現金が合うまで確認するのが常識です。 渡しすぎたお金はもともと郵貯に貯金をした方のお金で、過剰に渡したお金は返してもらうのが当たり前。貰いすぎたお金は返すのが当たり前です。でも、郵貯では不足額は損金で、過剰は雑収入で経理処理をしていたのです。 さらに、今朝伝えられたニュースでは、簡易保険の配当金を別の契約者に払い込んだり、配当支払いの通知を間違って送ってしまったミスが約80万円あったことが明らかになったとありました。簡保でいえば、7月中旬には職域保険の一部で約8000万円もの配当金の払い過ぎも見つかっています。 去年のこの時期は、参議院で「郵政民営化法案」がまさに審議をされていました。結果、参議院本会議で法案が否決されたその日、8月8日に総理は衆議院を解散しました。 あれから1年。日本郵政公社は来年秋の民営化に向けて動いていますが、保険金を支払った人や貯金をしている人のお金の管理があまりにもずさんだというニュースを見るたびに、一体、なんのための「民営化」だったのかという思いが消え去りません。
2006年7月24日(月)
合宿
今朝から娘がクラブの合宿に行きました。 子ども達の学校では、小学三年生からクラブ活動に参加ができ、娘は「女子スポーツクラブ」で、スポーツ全般を楽しむクラブに。息子は「ラクビー部」に所属をしています。 合宿のために、と買ったパステルカラーのスポーツバッグに一杯の荷物をつめ、荷物の重さにヨロヨロしながら「行ってきます!」と、元気よく出かけていきました。待ち合わせ場所まで見送りましたが、友達や先輩に会うと私のことなど見向きもせずに駆け寄って行くのです。「ママとはなれたくない!」と、つないだ手を離さなかった幼稚園時代が愛しく思い出されました。 とはいえ、もっとせつないのは夫かもしれません。娘は出がけに「ママも元気でね」と言っていましたが、パパのことは触れていませんでした。朝、夫からきたメールは「パパのこと何か言ってた?」です。すかさず返信しました。「ぜんぜん」。それ以来、夫からメールはありません。 明日からは、息子がやはり合宿で出かけていきます。 家の中が静かになるんだろうな、と思うと少し寂しいです。
2006年7月21日(金)
駅前で
19日の水曜日の朝、来年改選を迎えるツルネン・マルテイ参議院議員と手塚よしお前衆議院議員と共に、東京の自由が丘駅前で街頭演説を行いました。ただでさえ急がしい朝、しかも、雨が降っていたにもかかわらず多くの方に政策のチラシを受け取っていただいたことに感謝をします。 この日、4才の双子を育てるお母さんと話しをしました。お子様は、1人が健常児で、もう一人が知的障害を伴う自閉症とのことです。話せたのは、ほんの短い時間だったのですが、お母さんが言われた「少子化だから、こうした子どもも大切にしてほしい」 との言葉が本当に深く胸に刺さりました。 昨年の総選挙で大勝した与党は、「障害者自立支援法」を数の力で成立させました。このニュースは小泉チルドレンのニュースに埋もれてほとんど報道をされませんでしたが、私たちは反対の姿勢を貫きました。 障害者の方々が受ける福祉が、措置制度から、サービスを受ける方の収入に応じた負担で、望まれるサービスを自由に選択できるようになったのが2年前です。ところが、政府は利用者の増加とそれに伴う政府の財政支出の負担増を理由に、わずか2年でこの制度を変えたいと法案を提出してきました。 成立した「障害者自立支援法」では、障害者の方が受けるサービスや就労支援、さらに、医療費においてさえも障害の度合いにかかわらず一律1割負担が強いられることになります。厚労省は、低所得者、生活保護世帯にはきめ細やかな配慮をする、としているものの、今後、障害を持つ方々は、確実に負担増になる仕組みとなり、経済的に豊かではない障害者はサービスや医療を受けることができなくなるというのが、反対の理由です。 国のお金がないから障害者にも自己負担をしてもらう、という政府与党の姿勢には社会福祉の理念を全く感じません。 少子化対策では、今、育っていく障害児をどうやって守っていくかとういう視点も欠かせませんが、政府の骨太の方針には、その視点さえも欠けているのです。 この法律を成立させてしまったことが、本当に悔やまれますが、今後も修正案を提出していければと考えています。 「それでは」 と言って、お母さんは幼稚園に通う男の子の手をひいて自由が丘駅を後にされました。その背筋が伸びていたのがとても印象的でした。 障害児でも、健常児でも、子どもを育てていることを誇れる社会をつくりたい、と改めて思った朝でした。
2006年7月19日(水)
富士登山 〜続き〜
家族で富士山に挑戦してきました。昨日の「つぶやき」の続きです。 普段は、何事にも飽きやすく、1つのことが持続しない息子が、富士山の八合目まで頑張って登ったこと。さらに次回は九合目まで登ると主張をし、頭痛がする私の身体を気遣うのです。 一方で、何事も貫徹しないと気が済まない娘は、すでに足下がフラフラしているにもかかわらず、「頂上まで登る」と涙しながら主張。 そんな二人をなだめて説得し、私たち家族は富士山の八合目から下山をすることにしました。 急な砂利道を滑るように下山。スピードの出し過ぎと、足を痛めないように注意をしながら降りていきます。山の天候が変わりやすい、とはよく言ったもので、晴れたり曇ったり。気温が上がったり下がったりするなか、ジャンパーを着せたり脱いだりしながら、下山をしました。 感動をしたのは、八合目ですでに雲が私たちより下にあるのです。風に乗って雲がまとまっていく様子がよくわかります。「雲より上に登ったね」と言っていたのも束の間、下山をすると、雲の中に包まれるようになりました。すると娘は口を大きくあけて「ママ!わたし、雲を食べてる!」。息子はさっと空になったペットボトルを開けて「ママ!ぼく、雲を捕まえた!」。 急斜面の崖側を歩かないように何度も何度も怒られながら、そして、頑張った、と褒められながら子どもたちは無事五合目まで下山をしました。 「雲からおりてきちゃったね」 「また、ぜったい登ろうね」 私たちが下山をする途中、救急隊に救助された少年がいました。サントリーのメンバーが救助を助けた、という足を怪我した大人もいました。お二人の体調が回復されていることを願いますが、富士山では一年間に56人が滑落事故に遭うと聞きました。子どもたちが無事に下山をしたことに感謝をしました。 親も子どもも始めての登山でした。いきなり富士山に登るというので、登山が趣味の秘書に心配をされましたが、結果的には本当に素晴らしい経験をしてきました。自分の身体が勝負、という経験はなかなかありません。 帰って荷物を片付けると、子どもたちの机には「2006ねん、7月15日、ふじさんのくも」 とマジックで書かれた空のペットボトルが飾ってありました。 子どもたちにとっても、素晴らしい思い出だったようです。
2006年7月18日(火)
富士登山
この三連休の週末に、子どもたちと富士山登山に挑戦してきました! 最初は、夫の一言。「富士山に登る?」 私たちが普段親しくお付き合いをさせていただいているサントリーのラクビー部メンバーが、練習の一環で(すごい練習です…)富士山に登るので、一緒に挑戦したいとのこと。 私も彼も、登山の知識は全くないのですが、日本一の山に登る機会はめったにないから、子どもを連れて行くことを即断。 山中湖のホテルに前泊し、土曜日の朝4時に出発してから、ラクビー部のメンバーと合流。富士山五合目までバスで揺られ、実際に登り始めたのが朝6時でした。やはり、というか、恐るべしというか、普段鍛えているラクビー部のメンバーは信じられない勢いで登っていきます。(私たちが六合目あたりでフーフー言っている時に彼らは七合目を軽くクリアー!)子どもの体調、下山の体力を考えて、ゆっくりゆっくり登ったものの、富士山斜面は相当急なのです。道なき岩山をよじ登ることの連続に、私も子どもも汗だくでした。特に、七合目から八合目は厳しい。岩山の急斜面を這いつくばって登れど登れど八合目が見えないもどかしさ。子どもの体調を考えつつ、とはいえ、子どもたちが簡単に「やめた!」と言わないように、夫婦で子どもたちに声をかけながらの登山です。真っ赤な顔をして、上に上に登っていく二人は、その間言葉を発さずにただ登っていきます。 「着いた!8合目!ママ、3100メートルだって!」 八合目の山小屋ではしゃいでみせる笑顔。息がきれ、少し頭痛がするのを忘れ褒めました。携帯した酸素を吸って、山小屋で買った1つ600円!のカップヌードルを食べながら考えました。すでに時間が登り始めてから5時間経過。この後、頂上に行くまでは同じく5時間がかかります。その時点で時間は夕方になる見込みで、下山の時間を考えると、五合目に戻れるのは夜になる見通しです。 「このあと、山を降りる時間を考えると、今日はここまでだね」 二人にそっと告げると対照的な反応がありました。「うん。ボクもうおりる。今度、九合目まで頑張っていい?」(息子)「どうして!ここまで来たからぜったい頂上まで登る!」(娘) 涙を流し「登る」と主張する娘と、「次回!」と主張する息子でした。 続きは明日の「つぶやき」で。
2006年7月12日(水)
積極的に行動で
昨日の夜は、私の二年前の選挙を中心となって支えてくれた自治体議員と、同じく選挙活動を助けてくれた政治家の秘書の方たちと食事会をしました。場所は、私の選挙事務所があった青山にあるビルに入っている「元気」というお店。辛い鍋を囲みながらワイワイガヤガヤと思い出話しをするものの、確か、去年の祝勝会でも全く同じ話題で盛り上がったことも思い出しながら、また、皆で大笑い。20代後半から30代前半という若い仲間は、この2年で都議会議員になった者、区長選挙に挑戦した者、来年新たに統一地方選挙に挑戦する者、この間惜しくも議員バッチを外した者と、様々な立場にはなりましたが、一同で集うと、私の選挙の時の話とあわせて、それぞれの将来の夢や、自分たちの力で日本を変えたいとの思いを語るのです。 今年の通常国会は、メール問題で若手議員の未熟さが露呈されましたが、それで、政治にかかわる若手が萎縮するのではなく、「変えたい」との思いを積極的に行動で示す姿を忘れてはいけないと強く思った夜でした。
2006年7月11日(火)
初心を忘れずに
2年前の今日は、私が初当選をさせていただいた参議院議員選挙の投開票日でした。多くの方々にご支援をいただき、当選が確定した時をまるで昨日のことのように鮮明に思い出せますが、この2年は私にとって学ぶことの連続の日々でした。 厚生労働委員会に所属をした1年目は、虐待を始めとした子どもの安全と女性の労働環境、障害者政策、介護問題等に取り組みました。 そして去年から今年の通常国会にかけては総務委員会に所属をし、NHKの問題、国と地方の関係の見直し、住基ネット、国家公務員の給与の問題などに取り組んできました。同時に所属をした予算委員会では少子化対策と障害者年金について政府与党の姿勢について質問をさせていただきました。 また、党の政策副会長として特別会計の精査、一般会計への編入を民主党案として提案をしてきました。 いかに、これまで自分が勉強不足であったかを反省しながら学んできた日々。そして実感することは、政権交代の必要性です。広がる格差社会に崩壊する社会保障制度。その負担の全てが、次世代を担う子どもに押し付けられる構造を変えるには、私たちが政権を担って改革を行わなければいけないと思っています。 明日から議員生活3年目です。初心を忘れずに学び続け、全ての子どもの安全を守るために頑張っていきます。
2006年7月10日(月)
コミュニティスクール
小学一年生、36人のクラスで6人6グループに分かれて「作文」を書いている授業を視察してきました。何が一番の特徴かと言えば、教室には、子どもたちに教える大人が7人いるのです。1グループに1人の大人がついて、子どもたちの質問に丁寧に答え、わからない子どもには親切な指導をしています。 前々から噂を聞いていて、いつか視察に行きたいと思っていた三鷹市立第四小学校。ここは、平成12年度から教員、保護者に加え地域の方々に参加してもらいながら学校運営を展開する「参加型コミュニティスクール」を始めています。PTAの方、学校の卒業生を子どもに持つ親御さん、学校のOB、OG、地域に暮らす方々で、子どもたちの夢育(子どもたちに夢を持ってもらえる学び舎を目指していることから、この小学校では教育を夢育と呼んでいます)に参加してくれる人をNPO法人に登録してもらい、専門知識•技術を持つ人はコミュニティティーチャーに。算数や国語の授業の学習支援者や各種行事の指導補助として参加するスタディアドバイザーに。自らの趣味や特技を解放された空き教室で課外の選択活動として指導をするきらめきボランティアになって学校に参加をするのです。今や登録者は217人。年間に活動に参加をした人は2600人で、平均すると週に60人の地域の方々が学校活動にボランティアとして参加をしています。 私の視察をした授業では、1人の学校の先生と、残る6人はSAと呼ばれるスタディアドバイザーでした。これだけ多くの大人に見守られて授業を行う子どもたちは、先生に質問する時間を「待つ」ことなく、SAの先生に積極的に話しかけている姿が印象的でした。小学生の授業では、生徒が、わからない箇所に悩んで、先生に聞く機会を失ってしまい、いつの間にか授業が面白くなくなってしまうことがありますが、この小学校では多くの大人がそうした機会を作らないように気を配っています。 第四小学校では、参加型コミュニティースクールで「人間力を育む」ために、授業を変えるだけではなく、子どもたちにキャリア教育、起業家教育として職業体験活動や起業体験活動も行っています。この体験は地域の方々がコミュニティスクールに参加しているからこそ積極的に行えるものです。 校長先生と学校関係者の方にお話を伺って感銘したのは、「コミュニティスクールは目的ではなく手段です。コミュニティスクールになって『何が出来るか』が目的です。」「私たちは勤労感を子どもたちに与えたい」「小中学校で『夢』を持ってもらって、高校でその夢を『志』にしてほしい」 学校関係者と保護者、地域の方々が連携して学校活動に参加し、子どもたちの夢育を育てていく姿勢に魅了されました。 平成16年度に改正された地方教育行政に関する法律で、教育委員会は学校に「学校運営協議会」を置くことが指定できるようになりました。まだ耳慣れない言葉かもしれませんが、子どもたちの教育を学校だけではなく地域の人々が参加して支えていく、同時に学校を中心に地域のつながりを強くする制度だけに、もっともっと多くの学校がコミュニティスクールになることを望みます。
2006年7月7日(金)
100年安心?
社会保険庁職員が、本人の確認をとらないで勝手に年金免除手続きをとっていた総数が約22万件あったことが、昨日発表されました。 年金免除をされてしまった人を「未納者」として計算すると、国民年金保険料の納付率は公表された数字より下がり、約67.3%になり、村瀬長官の提示した目標数値80%を大きく下回ります。 このまま、国民年金の納付率が改善されないと、保険料給付に足りないお金が厚生年金から賄われることになり、給料から天引きをされている会社員にしわ寄せがくることになるのと同時に、現役世代の収入の50%を給付することも難しくなります。あわせて、政府は出生率を1.31で試算していますが、昨年の出生率は1.25。このままの低出生率が続くと、17年後にはやはり現役世代の収入の50%給付が実現しないことになります。 2年前、年金制度改革を行った時に政府は言いました。「100年安心」だと。民主党は、その時点で100年維持される制度ではないと独自法案を提出して主張をしましたが、与党は審議すらしませんでした。結果、改正された制度はわずか2年で見直しを迫られています。 ところで、話は変わりますが、今日は七夕です。先日、駅に飾られた笹の葉の短冊を目にすると、「娘が元気になるように」、「就職できるように」、「子どもが出来るように」といった願いが書かれていました。一緒にいた娘は「新体操の選手になれますように」と書いて笹に結びつけていましたが、みんなの願いがかなうとことを祈ってます。
2006年7月6日(木)
北朝鮮問題
『北朝鮮が「国防力強化のため」と、ミサイル発射を今後も継続する』というニュース速報が携帯に表示されました。 これで打ち終わったわけではない、と言い続ける北朝鮮。世界の批判をものともせずに、昨日の7発ものミサイル発射に続けてさらにミサイルを発射する姿勢を示しています。仮に、ミサイルが日本の領土、領海に着弾しなかったとしても、アメリカが北朝鮮に対し軍事的行動に出るとした場合、日本は「我が国に対する直接の武力攻撃に至る恐れのある事態」と規定された周辺事態法によって、米軍の後方支援が可能になります。今のところ、アメリカは6カ国協議による「話し合い」の姿勢を重視していること、日本政府も「話し合い」、「国連重視」の姿勢を鮮明にしています。どういった行動をとるのかが全くわからない北朝鮮ですが、日本政府は、最悪の事態を避け、日本国民の生命を守るための努力を最大限に行うべきです。 日本側が行える経済制裁は主に2つ。1つは、昨日の閣議決定で万景峰号の入港が当面半年間禁止されることになりましたが、「特定船舶入港禁止特別措置法」では、北朝鮮籍を持つ全ての船の入港禁止措置をとることができます。もう1つは、「外国為替•外国貿易法」によって、貿易の停止•制限、送金や支払いの停止•制限措置を行えます。これまでは国連決議などが必要だったものですが、04年の法改正から日本独自に閣議決定を行えば制裁を発動できるようになっています。政府が、こうした制裁を発動すれば日本と北朝鮮の間でモノ、ヒト、カネの流れを止めることができます。 とはいえ、こうした経済制裁だけで北朝鮮の動きを抑止することが出来るのかは疑問が残ります。 小沢代表が発言をしましたが、北朝鮮問題は日本だけで解決できる問題ではなく、国際協調が不可欠です。国連の対応、そして中国•ロシア•韓国などアジア地域の結束が問われてきます。すでに、国連の安保理決議をめぐっては、参加国に拘束力が伴う北朝鮮非難決議への対応をめぐって、消極的な中ロ、積極的な日米英と姿勢がわかれつつあります。参加国が結集でき、かつ北朝鮮の行動を自粛させるために効果のある策を出すための努力を行うべき、という点では、与野党の壁はないはずで、今こそ国会審議を通じて日本としての対策を講じるべきですが、わからないのは、小泉首相はこの緊急時にどうして国会を閉じたままなのでしょうか。
2006年7月5日(水)
渡部恒三国対委員長
昨日、三井わきお衆議院議員のパーティが札幌市内で開かれ、渡部恒三国対委員長と会場までご一緒させていただきました。 政治家として大先輩の渡部委員長とお話をする機会はめったになく、昨日は空港から会場まで、行きと帰りの車中2時間も、たっぷりとお話を伺いました。 代表が中国を訪れていることから、中国の話題が多かったのですが、国会議員になられた翌年の1971年に中国を訪問し、周恩来氏にお会いしたこと。来日した鄧小平氏に田中角栄氏の自宅でお会いしたこと。江沢民氏との会談のお話。それぞれの時代の日中関係や政治家の話も交えてていねいに話してくれたのですが、私にとっては、その話全てが「自民党政治史関係や日中友好関係の本」で読んだことばかりで、その「時代」を経験された渡部委員長から直接耳に出来ことは本当に貴重な時間でした。また、「もう73才だから」と豪快に笑う渡部委員長。本当は移動時間にゆっくり休まれたいのではと思われますが、私や同乗している秘書の方々に気を使って幅広い話題を楽しく聞かせてくださる姿は、人間としてもとても魅力的です。 メール問題で信頼を失墜させた民主党でしたが、渡部国対委員長がその信頼回復に大きく貢献をしてくれました。それは、当選13回というベテランとしての力も大きく影響していますが、ご人徳によるものも大きいということを、改めて実感した時間でした。